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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

怖いもの知らず

怖いもの知らずだと、よく言われる。

自分でもそうだと思う。

諍いは好きではないので無用に事を荒立てたりはしないが、必要だと思えば誰彼構わず意見する。

会社でも社長だろうが上司だろうが関係なしに言うことは言う。

どう思われているか気にしないわけではないが、どう思われてもいいとは思っている。

結局、「他人の評価」というのは「他人の評価」以上の何物でもなく、それによって不利益を被ることはあっても自分自身が変化するわけではない。

実態が変わるわけではない。

自分がどういう人間でありたいかということがはっきりしていれば、他人にどう思われるかは重要ではないと思う。

 

他人の評価もそうだし、それ以外の実害もそうだが、ほとんどの出来事というのは怖いはずがない。

人生で一番の不利益というのは、死ぬことである。

つまり生きている間に起こることというのは、死ぬよりマシなことばかりだと言える。

私は死ぬことすら怖いと思っていないので、それ以外の何物も「怖い」とは思えない。

もちろん嫌だなと思うことはある。

それこそ挙げればキリがないくらいたくさんある。

それでもそれは「怖い」という感情とは違うと思う。

思うに、「怖い」という感情は、起こる出来事を自分が受け入れらない状態において発生する感情ではないだろうか。

起きてほしくはないが、起きたら受け入れられる出来事というのは、嫌なことではあっても怖いことではないと言える。

あるいは理解できないことも「怖い」と思うだろう。

それはやはり理解できるかそうでないかが、その現実を受け入れられるかどうかに関連しているからだと思う。

 

自分が瞬間的に「怖い」と思う場面を思い返してみると、例えば車の運転で事故を起こしそうになるときなど、命に関わる場面ばかりである。

それはつまり、どれだけ私が死ぬことを怖くないと思っていても、生存本能というのが人に元来インプットされていて消えないものだという証左だろう。

心臓の筋肉が不随意筋であることと同じようなものだろう。

人は自死を選ぶことはできるが、本来的にはそのように作られてはいないのである。

どんなに怖いもの知らずであっても、死ぬことは死ぬ直前まで怖いと思ってしまうものなのだろう。

それでも私は、死ぬことより自分自身が望む生き方ができないことの方が怖いと思う。

アイデンティティがなくなると言ってもいい。

信念を失う、あるいは自分が自分でなくなると言うこともできる。

それは死んだらそれまでだが、生きて自分を失うということは、その苦しさをそのまま味わい続けることになるからである。

やはりそんな状況を考えたら、「上司に怒られる」とか「会社をクビになる」なんて、どうでもいいレベルの話だと思える。