異呆人

毒にも薬にもならない呟き

塾に通ってみたかった

今住んでいるアパートの近くに学習塾がある。

遅い時間まで中高生が勉強していて感心させられる。

会社の入居しているビルの別フロアにも予備校が入っている。

私が仕事で遅くなって20時,21時に退社するときに、同時に家路につく若者たちがいる。

会社の近くには日本で一番有名な大学があり、この場所に通うからにはきっと、頂きを目指して日々修練しているのだろう。

彼らには今の時期が苦痛に感ぜられるかもしれないが、齢30超えたおっさんからすると眩しい限りである。

 

私は学習塾に通ったことがない。

もともと学習は好きだが、勉強は嫌いである。

新しいことを学ぶのは好きだが、反復練習が苦手だと言い換えてもいい。

基本的に根気がない。

学校の勉強に関してで言えば、典型的な天才肌タイプだった。

テストの点数は抜群に良いが、宿題などはしょっちゅう忘れる。

学校の先生からすれば叱るに叱れないというか、扱いづらい生徒だったのではないかと思う。

 

早熟なタイプでもあったのだろう。

特に小学校の授業は退屈で仕方なかった。

なぜこんな簡単なことを何度も繰り返しさせられるのか、なぜ他の子はこんな簡単なことに時間がかかるのか、と思っていた。

その頃の私のモチベーションの一つは成績が良かったときのご褒美で、頑張っていればファミコンソフトが買ってもらえることだった。

3段階評価の通知表はいつもすべて3だったので、「漢字テスト10回連続満点」とか「1学期間、社会のテストがすべて満点」とか、そんなプラスアルファを評価されていた。

まぁ当時はケチのつけようのない内容だったし、逆に親もどこを褒めていいのかわからないくらい全部が良かったので、「とりあえず買っておいてやれ」くらいの感じだったかもしれない。

普段は要望を述べることに罪悪感を感じるような子供だったが、このときばかりは成果に対する正当な報酬という大義名分の下、大きく出られたように思う。

 

さておき、学業に関してはよくできた少年だったので、学校や近所でも有名な存在だった。

だから母親は、今でいう「ママ友」や近所の人から「なんであの子にもっと勉強させないの?」と言われていたようである。

母親は高卒、父親も大学中退なので学業はからっきし。

勉強させるも何も、何をどうしたらいいかわからないという状態だった。

中学受験の話が突然出たこともあったが、お金がかかるし、そもそも行かせたい学校もないし、みたいな感じでまったく進まなかった。

そんな折、よくわからない家庭教師の会社が営業に来て、私は小学5年生から週1回家庭教師に教えてもらうことになった。

母親は「何かさせた方がいい」という周りのプレッシャーを感じていたようで、「とりあえずやらせてみるか」くらいの感じだったと思う。

私自身も「学校より難しくて面白い勉強ができるなら」と思って、受けてみることにした。

 

ところが、この家庭教師の授業はとんでもなく退屈だった。

そこの会社のテキストを使って授業をするのだが、簡単過ぎてすぐに終わってしまう。

1回1時間半の授業なのに、1つの授業で使う問題が30分ほどで終わってしまうのだ。

あとは適当にダラダラしているか、それこそ授業を早めに切り上げていた。

今思えば、何のための家庭教師だったかわからない。

だがそれでも3年ほど続けていた。

授業料は大した金額ではなかったし、親も何もさせないよりマシ、勉強の習慣化に繋がる、と思っていたようである。

そもそも成績はもう上がりようがなかったのだし、効果があるかどうかなどわからなかったのだ。

 

変わったのは中学2年のときに、家庭教師の担当が交代したときだった。

それまでの、どちらかというと適当な学生ではなく、教えることに熱心な学生がやってきた。

まず私の成績と、問題を解かせてみてレベルを確認すると、その人は「君ならもっといけるよ!」という、松岡修造ばりの熱意を見せた。

そしてその先生に勧められるままに市販の難しい参考書を買い、また「彼の受験勉強のために、月賦は同じでいいんで週2回教えさせてください!」というその人の要望を受け、週2回教えてもらうことになった。

今考えれば、なかなかすごい申し出である。

それは私の学業にはプラスだったのかもしれないが、当時の私にしてみれば勉強が大変になっていい迷惑だった。

なんせ解かせられる問題は、関西の難関校「灘」や「東大寺」を目指すような生徒が解く問題だったのである。

基本的に学校の授業しか受けていない私には、まったくわからない問題がほとんどだった。

しかも教えている学生本人が解けないような問題も多かった。

外語大の学生で特に数学は得意でなかったようで、私がわからなかった問題の半分以上は持ち帰り、大学で得意な奴に聞いてから私に教えるような有様だった。

 

そんな謎のスパルタ授業を受けている中、周囲の友人たちの多くは塾に通っていた。

特徴ある講師や塾の友人の話題で盛り上がっている話を聞くと、羨ましさを感じたものである。

自分も通ってみたいなと思わないでもなかったが、塾の方が授業料が高いし、そもそも成績に問題があるかというとそうでもなかった。

志望校である学区内でトップの公立高校には、余裕で入学できるくらいの学力があった。

より上を目指そうと思っても残る選択肢は、難関私立を目指すか、同じ志望校でも狭き門の理数科を狙うか、大阪府内トップの公立高校の学区外入学枠を狙うかしかない。

私立は金がかかるし、私は当時から文系志望だったし、学区外入学は通学が大変である。

あえて塾に通ってまで学力アップを狙う意味はなかった。

ただあの仲間意識とか切磋琢磨する感じが楽しそうだなと思っただけである。

そんな塾通いの友人たちからは、「1回1時間半、週2回教えてもらっているだけで、毎日のように塾に通って2,3時間勉強する俺たちより成績が良いとか意味がわからない」と言われていたが。

 

大学入試のときも、塾や予備校には一切通わなかった。

どうやって勉強していたのかと聞かれると、まったく勉強していなかったとしか答えようがない。

友人からは「お前が難関国公立大に受かったら、全国の受験生に土下座して謝れ」と言われていたほどである。

幸い私が入学したのは地方国立大なので、土下座はせずに済んだ。

そんな感じで高校の頃は、勉強が「好きではない」から「嫌い」に変わっていたので、特に予備校に通う友人たちを羨ましいと感じることはなかった。

しかし今にしてみれば、何か目指すものがあってそれに向かってひたむきに努力するという展開は、胸熱で青春だよなと思ったりもする。

1回くらい通ってみたかったな、雰囲気だけでも体感したかったな、と思う。

まぁそもそも行きたい大学もなく、適当に選んで受けたら受かってしまって沖縄で4年間過ごすことになった私には、そんな胸熱な青春は望むべくもなかっただろうが。

 

春になり、桜が咲いた人も咲かなかった人もいるだろう。

受験生の中には、浪人してもう1年頑張ることになる人もいるだろう。

最近は就職浪人なんていうのもあるらしく、志望企業に入るためにもう1年勉強したり自分磨きをする人もいるらしい。

私の大学の後輩も、結局叶わなかったが、大手広告代理店でコピーライターになることを目指して就職浪人していた。

大変な世の中である。

学校の試験にしろ入社の試験にしろ、結果だけ見れば合格できなければ失敗である。

しかしそこで失敗することで人生が終わるわけではない。

回り道をするか、別の道を歩むことになるだけである。

そしてその失敗にどういった意味を持たせられるかは、そこから先の人生次第である。

もう散り始める桜を見て思うことは人それぞれだろうが、望む通りにいかなかった人も過度に悲観する必要はないと思う。

過ぎ去ってみれば、そこでの失敗を、味わいを噛み締めて振り返ることもあるだろうから。

どんな道を歩むことになったとしても、その失敗まで含めて唯一無二の自分の人生である。