読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

異呆人

毒にも薬にもならない呟き

日常の連続性と節目

年度が変わった。

勤めている会社の社長が変わり、他にも新しい人が数名入社した。

私の部署には5/1から中途で社員が入ることになっている。

異動の季節である。

新しく知り合う人と仕事をするのは新鮮だ。

ドキドキワクワクすると言うと過剰にポップだが、私は環境の変化を比較的好ましく受け止めるタイプである。

どんな人が来るのか妄想するのも楽しいし、実際に新しい価値観と触れ合うのも概ね楽しい。

 

しかし仕事自体は、年度が変わって急激に何か変わったということはない。

昨年度の経費節減の縛りがなくなり、多少自由に動き回れるように戻ったくらいである。

そもそもうちの会社は決算が3月締めなので、年度が会計上も一つの区切りだが、世の中にはそうでない会社もたくさんある。

また小売の現場なんかだと、現場スタッフには年度もへったくれもない。

毎日売上に追われ、接客に追われるだけである。

商売相手がそうなのだから、現場を相手にする私も3/31と4/1で仕事の仕方に違いはない。

現実は連続している。

フィクションのように急に場面転換が起こるわけではない。

昨日の続きに今日がある。

本来、昨日と今日に非連続性を求めることは、理不尽であるしナンセンスである。

 

今は数字をあまりうるさく言われない会社で働いているが、昔の仕事では月末の売上の「追込み」があった。

私はそれが嫌いだった。

例えば月の売上目標が100万で、30日現在で90万だったりするとき、「目標達成」のために無理して売上を上げに行くのである。

馴染みの取引先に在庫できる商材を買ってもらったりする。

その仕事をしていたときから、私はその「追込み」を意味がないと批判していた。

需要の先食いにしかならない。

在庫の買い回りが先に伸びてしまうだけである。

朝三暮四と言える。

上司にそう言ったら、「目標を達成することが重要」としか言わない。

話にならないなと思った。

放っておけば来月売れるものを、目標達成のためだけに今月売る意味はない。

それがその仕事を辞めた理由の一つだったりする。

ポリシーに合わないことはしないのが「朱天流」である。

 

節目が大切でないとは言わない。

心機一転になる。

新しいフェーズに入ったから頑張ろうという気になれる。

節目を設けてメリハリをつけることで、更なる成果に結びつく可能性がある。

それでも、昨日できなかったことが今日急にできるようになったりはしない。

小学生の逆上がりとはワケが違う。

昨日と今日は連綿と続いてきているのである。

だから私は、明日を意識した今日である必要があると思う。

もっというと、10年後、20年後、あるいはもっと先を意識した今日であった方がいいと思う。

もしかしたら、そんな先にはすでに死んでいるかもしれないわけだが、だからといって備えが疎かにされていいことにはならない。

備えが使われることのないまま終わることは、無駄になったとは言わない。

備えが必要ない展開になって良かったね、というだけである。

 

人は生まれ変わらない。

急に新しい自分にはならない。

今の自分がいて、明日の自分がいる。

この当たり前の事実をしっかり意識していれば、もっと今という瞬間を大切にしようと思えるのではないだろうか。

失敗はやり直せるが、リセットボタンを押すこととはワケが違う。

失敗しなかったことにはできない。

続いているからこそ、迂闊なことはしないでおきたいなと思うのである。