異呆人

毒にも薬にもならない呟き

ドヤ顔の関西弁って、どうかと思う

大阪人っぽくないと、よく言われる。

それは大阪をもう10年以上離れているからではなく、大阪に住んでいた小学生の頃からそうである。

「どこかからの転校生?」みたいに言われることもあった。

しかし残念ながら(?)、生まれも育ちも大阪市内の生粋の大阪人である。

何がそんな風に思わせるのかはわからない。

父は生まれも育ちも大阪だし、母は生まれは徳島だが育ちは大阪なので、親の影響というのも考えづらい。

そもそも、両親は大阪人らしい大阪人だし、兄弟の中でもそんな風に言われるのは私だけである。

それは私が異端だからと言ってしまえばそれまでなのだが、どうも釈然としないものはある。

 

小さい頃から、「綺麗な日本語」みたいなものに対するこだわりはあった。

TVのアナウンサーが使うような日本語を使いたいと思っていたところはある。

それは多分に、私が幼い頃、読書好きだったことと関係していると思う。

本に書かれれている言葉は多くの場合、方言ではない。

本を読むということが書き言葉を身につけることにつながり、それが話し言葉に影響していったということが考えられる。

「難しい言葉を使う」と言われることもあるが、難しい言葉を使っているというよりは、書き言葉のような話し言葉を使ったり、あまり口語で使われないような言い回しをするせいだと思う。


元々そんなだったせいもあり、大学入学と同時に大阪を離れてからは余計に大阪弁を使わなくなった。

別にわざと使用を避けていたわけではなく、例えば塾で教えているときなどはなぜか自然と大阪弁が出たし、あまり意識せずに使っていたらそうなった。

仕事をするようになってからは、ビジネスの場では意図的に使わないようにもした。

関東の人の中には大阪弁を「胡散臭い」と感じる人もいる。

新潟で仕事をしていたときは特に、使わない方が好評だった。


それから東京に出てきて、より大阪弁を使わなくなった。

一つは仕事が、より丁寧な接客を求められるものに転職したからである。

どうも私のクセとして、敬語を使うと標準語になるらしい。

大阪弁の敬語というのが、どうにもカジュアルな敬語に感じてしまうからかもしれない。

そして今の仕事に転職してからは、取引先と話すときは大阪弁、社内で話すときは標準語になっている。

取引先と話すときに大阪弁を使う理由は2つある。

1つは担当エリアである西日本の人(特に関西人)は、標準語を「気取っている」と毛嫌いすることがあるから。

もう1つは仕事で接する相手の年齢層が下がり、大阪弁の敬語に感じるカジュアルさが、逆に親しみやすいという武器になるからである。

だから社内では標準語で話しているくせに、取引先と電話するときは大阪弁で話している。

器用だと言われるが相手に合わせているだけで、さほど難しくはない。


社内には他にも関西出身の人はいる。

そして彼らのほとんどは、それがプライドであるかのように、頑として関西弁を使い続ける。

まぁ言葉はアイデンティティの一部だから悪いことではないと思うが、もう少し柔軟性があってもいいのではないかと思う。

自然に方言が出てしまうのはともかく、ドヤ顔で関西弁で捲し立てたり、関西人なのに関西弁を使わない私のような人間を非難したりする人間はどうかと思う。

「郷に入らば郷に従え」とも言う。

アイデンティティの誇示は協調性の欠如と紙一重である。

言葉に限らず、必要以上に「自分」を前面に出すことは、自信のなさの裏返しのような気がする。

アイデンティティが固まっている人間は、アピールなどしないものである。