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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

弱さと甘え

人に頼るのが苦手だ。

人に甘えるのが苦手だ。

それは昔からそうだったわけではなく、中学生くらいのときにトラウマになるような嫌な出来事があり、それ以来、強い人間になりたいと願った故である。

「強さ」という価値基準には様々あり、力が強いということもあれば、心が強いということもある。

あるいは、もっと別の基準もあるだろう。

人間は別に腕力がすべてではなく、武器も使えれば、頭の使い方一つで相手の動きを封じることもできる。

むしろ腕力以外の「強さ」の方が、現実を生きていく上では役に立つ。

ただ、どんな優れた能力も100%の力を発揮できなければ役に立たないこともある。

腕力で強行突破を図るより、「逃げるが勝ち」という状況もある。

つまり、ものを言うのは状況判断能力、選択肢の幅とその中から適切な行為を選び取る能力である。

もちろんその際に選べる選択肢の数を増やしたり、個々の選択肢のレベルを引き上げることも必要だが、少なくとも当時の私にとって「強い人間」とは「いかなる状況でも物事に冷静に対処できる人間」であった。

 

そんな人間になりたいと願ったとき、もっとも忌避すべきものは「動揺」である。

心の揺れ、一瞬の迷い、そういったものが命取りになる場面がある。

だから笑い話ではあるのだが、当時は「驚かない練習」というのを真面目にやっていた。

感情の振れも心の隙を作りやすいので、笑ったり怒ったりすることを抑えたりもしていた。

しかしもっと根本的に必要だと思ったのは、依存しないこと、甘えを排除することだった。

心の拠り所というものは、人間に本来以上の力を与えることがある。

反面、それを失ったときに壮絶なダメージを受ける諸刃の剣でもある。

だから本当の意味でどんな状況においても冷静さを保ち、ダメージを最小限に抑えるには、人・物・事に限らず極力何かに依存しないこと、頼らないこと、甘えないことが必要だと考えた。

自分の足で立ち続ける、心身の体力が必要だと考えた。

今はそれが全面的に正しいとは思わないが、それでもやはりそういった「独立の精神」は必要だと思っている。

 

そんな考え方でもって思春期を過ごしたので、何でも自分でやろうとすることが癖付いてしまっている。

客観的に人に頼った方が合理的な場合でも、極力自力で何とかしようとしてしまう。

それが状況を悪化させることもあるし、自分の考え方の癖はわかっているので、気を付けるようにはしているのだが。

だから人に頼らざるを得ない状況、甘やかされている状況というのが、仕方ないと頭でわかっていても非常に居心地が悪い。

実家に帰って、母親に至れり尽くせりで遇されると、「やめてくれ」と言いたくなる。

人間がダメになりそうな気がする。

弱くなってしまいそうな気がする。

相変わらず私にとって、誰かに頼りたい、甘えたいという気持ちは、弱さ以外の何でもないのである。

 

何とも、めんどくさい男である。

しかし、そんな考えを持つに至った経緯、またそれを身に付けて生きてきた自分の歴史を思うと、それもまた個性の一つなのだろうと思う。

それが遠因でやりたいことが見つからなかったりもするのだが、それもまた一つの人生である。

ある意味では、「これ」という拠り所を作らない人生というのは、一意専心でその道を極める達人の人生と同じくらい、厳しい茨の道かもしれないという気もしている。

結婚した今も変わらない。

たとえ子供ができても変わらないだろうか。

まぁ変わったとしても、それもまた人生ではある。