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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

給付型奨学金と経済格差、及び教育の機会均等

www.nikkei.com

貸与型ではなく、給付型の奨学金ができるらしい。

羨ましい話ではあるが、住民税非課税世帯が対象とあるので、かなり経済的に厳しい家庭の学生だけが対象になる。

私も大学進学時に奨学金を借りた。

学費は親に出してもらったが、家を出たので生活費を工面する必要があった。

大学に行けと言ったのは両親だが、どこの大学に行くかを決めたのは自分である。

実家から通える範囲の大学にすれば発生しなかった費用であり、その分は自分が負担するのが筋だと考え、自分から親に申し出た。

月8万円×12ヶ月×4年=384万円。

親の収入要件で無利子の奨学金が借りられなかったので有利子である。

利子まで含めると400万円を超える。

バカにならない金額である。

私はそれを5年で繰り上げて完済した。

それほど金を使わなかった人間なので何とかなった。

後悔はしていないし、考えても詮無いことなので考えないが、奨学金がなければ今の生活にもっと余裕があっただろうことは間違いない。

今の稼ぎから考えると、400万円という金額は大きい。

 

そもそも論になるが、果たして奨学金を借りてまで大学に行く必要があるだろうか。

私は個人的には高等教育機関としての大学の存在意義には疑問を持っているし、それこそ自分自身が初めは大学に進学するつもりはなかった。

しかし大学全入時代で大卒でないと入れない会社はたくさんあるし、大学で専門教育を受けたいという人もいるだろう。

大学進学は必要ではないが、行きたくても行けないことにより所得格差はつく。

奨学金を借りた場合でも、その借金が結局は経済的な格差として付いて回る。

つまり大学教育の価値が借金してまで受けるべきものか、というのとは別に、社会構造として大学教育のコストが経済格差の温床になっていると言うことはできる。

そしてその格差を縮めるために、給付型奨学金を創設するというのは、一応理に適っている。

 

受けたくて受ける教育に税金を投入する必要があるか、大学進学は投資でありコストは就業してからの給与で取り返すべき、などの議論はあるだろうが、問題とされているのは経済格差だけではなく教育の機会均等でもある。

教育というのは受けたいと思う人が受ける権利のある、そういう性質のものである、ということである。

本人が受けたくないと言うならともかく、受けたいのに受けられないという状況そのものが問題だという発想である。

しかし本気で教育の機会均等を目指すなら、税金を突っ込んででも大学まで教育を無償化すべきだろう。

そうでなければ線引きの問題が発生し、結局、機会均等は中途半端になる上に格差は残る。

例えば給付型奨学金の給付基準を世帯年収300万円未満とかにしたとして、じゃあ世帯350万円なら奨学金を借りずに済む経済力があるのか、世帯年収400万円でも子供の数が多ければ経済的には苦しいのではないか、親の扶養をしなければならないのであれば…、など、事実上救われない人が出てしまう。

保育所入所などについても言えることではあるが、「要件」というのはときに個々の実情を無視してしまう。

ならば丸々、国で抱え込むというのも一つの発想だし、最近は安倍首相も教育の無償化とか言い始めている。

 

しかし残念ながら日本は借金まみれなのである。

どんなに高度な財政理論を駆使して「返す必要のない借金だ」とか言ってみたとして、リスクを孕んだものであることは間違いない。

この上なお借金を重ねてまで、教育費を無償化することが正しいかどうかは難しいところである。
なぜなら教育費で受けた恩恵を、財政悪化により医療や介護や保育など、他の面でツケとして払わなければならない可能性があるからである。
結局、人生におけるトータルで考えたときに、国民の負担が変わっていないなんてことになりかねない。
 
個人的には、大学にいかないと良い仕事(いろんな面で)にありつけない、学歴社会そのものを見直さない限り、問題の根本的な解決にはならないと思う。
採用にあたりインターンに近い試用期間を設けるなどし、能力適性中心の採用を進めるのである。
学歴により収入に差がつかないのであれば、純粋に学びたい人だけ進学するだろうし、それであれば奨学金も大して必要でない。
教育の機会均等を問題にするのであれば、就業して稼いでからの学び直し、社会人入学の仕組みを整えれば済むと思う。
教育は非常に重要なものではあるが、数字などのわかりやすく目に見える結果に繋がりにくく、お金をかけづらい、あるいはどこまでお金をかけるべきかわかりづらい部分がある。
だからこそ教育制度はコスト意識を持って、バランスを考えて整備しなければならないと思う。
手を抜くのは厳禁だと思うが。
最近流行りのポピュリズムの根っこには、知識や教養の不足があると思う。
つまり、不十分な教育が回り回って社会の病巣になると思うのである。