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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

マラソン大会の在り方

www.nikkei.com

toyokeizai.net

ランニング人口が減少しているらしい。

各調査の数字にバラつきがあるので、数字などは目安に過ぎないと思うが、とにかく減っているのは間違いないのだろう。

2年前の東洋経済オンラインの記事でもそんな内容が取り上げられており、ああだこうだ難癖つけてみたりしている。

10年以上ずっとランニングを続けていて、マラソン大会にも最低でも年1回くらいは出場してきた身としては、少しでもランナーが減って大会に参加しやすくなるなら歓迎である。

まぁ少なくとも今のところ、体感として減った感じはしない。

相変わらず主要なランニング大会へのエントリーは難しいし、出場したらしたで混雑に悩まされることになる。

日経新聞などは地方でのランニング人口の減少を指摘しているがどうだろう。

まぁいろんな側面から検証できることはあるだろうが、別に無理にランニング人口を増やす必要はないと思うので、好きな人だけが続ければいいと思う。

 

ちなみに私は、マラソン大会で卒業論文を書いている。

「地域振興としてのスポーツイベント」と題して、ある島嶼部のマラソン大会を取り上げ、現地に行って役所の観光課と一緒に大会準備をし、大会当日はフルマラソンを走り(しかもなぜか上位入賞し)、大会後は地域住民やスポンサー企業にインタビューして回ったりした。

アンケートなどによる定量的な調査より、生の声を拾って現実をあぶり出す方法を、このときは選んだ。

その前年にはプレ卒業論文的な課題で、全国のフルマラソン大会に郵送と架電でアンケート調査を実施し、大会側の主催趣旨と参加者数や上位タイムなどの定量データをクラスター分析にかけ、マラソン大会を類型化してみたりした。

プレ論文のくせに微妙に凝った手法を駆使したので、調査協力いただいた大会主催者から「結果をぜひ知りたい」と興味を持たれたし、どこぞでそんなことをしていると知った大学教授から「講演会でデータを使いたいので許可が欲しい」と言われたりもした。

まだランニングブームが到来する前のことである。

そんな研究をする数寄者はなかなかおらず、当時は先行研究が見つからなかった。

「お前の趣味じゃないのか」と周りの教授陣からは散々言われたが、指導教員だけは「誰もやってないからこそ、やる価値がある」と認めてくれた。

大学院に行って研究を続けることも勧められていた。

今のランニングブームを思えば、勧めに従ってあのときの研究を続けていれば、それなりに需要はあったかもしれないなと思う。

 

さて、そんな私からすれば、昨今、雨後の筍のように現れ続けるマラソン大会には、とても違和感がある。

当たり前だが、マラソン大会を開催するとき最も大切なことは「なぜマラソン大会を開催するのか」ということである。

もっと言えば、「なぜマラソン大会でなければならないのか」という部分もあるが、それを言い出したらキリがないので割愛する。

要は「あそこがやってたくさん人が来たみたいだから、うちもやろうかな」みたいな、雑な考えでやってないだろうか、ということである。

そもそも最初に言っておくと、多くのマラソン大会は赤字である。

特に交通規制をかける必要のある大規模大会になると莫大な費用がかかるため、採算ラインはぐっと厳しくなる。

河川敷や公園などの比較的簡単に利用できるコースを使ったり、コンパクトに開催して運営を少人数で行うなどしなければ、利益を上げることは難しい。

だから自治体が絡んで「地域振興」などと銘打って、税金を投入して開催したりするのである。

「そこまでして開催する目的は何ですか?」というところは、突き詰めて考えなければならない。

 

特に自治体が開催するマラソン大会の目的は、大別すると2つに分けられる。

1つは経済振興。

外からたくさんの人に参加してもらい、宿泊してもらったり飲み食いしてもらったりしてお金を落としてもらい、あわよくば地域を好きになってもらってマラソン以外でも遊びに来て欲しい、というものである。

もう1つは健康増進及びスポーツ振興。

地域の人に参加してもらい、マラソン大会をきっかけに運動を嗜むようになって欲しい、あるいは地域の人が参加してお祭り的に盛り上がることで一体感が醸成され、コミュニティの良化や強化につながって欲しい、というものである。

両方ともを目的にしたものもあるし、これら2つをざっくり組み合わせて「地域振興」とか銘打っていることもある。

2つをごっちゃにすることも間違いではないのだが、やはりこの2つは大きく異なる。

むしろ実際に開催するにあたっては、この2つの目的が相反することもあるのである。

 

これ以上その中身について深掘りすると、とんでもない分量になるので控えるが、要は今あるマラソン大会もこれからやろうかなとか思っている人たちも、それが多くの人・もの・金・時間を投入してまですることなのか、今一度考えて欲しいなということである。

経済的な波及効果などは「推計〜億円」とかはじき出せるのだろうが、そんなわかりにくいことに資源を使うくらいなら、子育て対策とか電線の地中埋設化とか、もっとわかりやすくて身のあるところに振り向けた方がいいこともあるわけである。

それでもやるとなったときには、どこを向いてその大会を開催するのか、その戦略に合わせてここのパーツを考えていく必要がある。

例えば本当に地域の観光資源を楽しんでもらうために大会を開催するなら、速いランナーなんて邪魔でしかないのである。

逆も然りで、ある程度のレベルの市民ランナーにマラソンそのものを楽しんでもらおうと思うなら、制限時間を短くして門を狭くするなどの対応が必要なのである。

両得しようというか、どちらにも良い顔をしようとするから、わけのわからないことになる。

それは本来目指すべきところが定まっていないから起こるのだ。

 

まして上で引っ張った記事が書いているような、競技人口の増加や減少と競技レベルはまったく関係のない話であり、もはや何が言いたいのかわからない。

日本のマラソンのレベルが世界と比して戦えるレベルでないのは明白だが、それは選手強化の問題であり、市民マラソン大会云々とは関係ない。

むしろ以前は国際大会などは、市民ランナーは余程のハードルをクリアしなければ参加できなかった。

今でも大阪国際女子マラソンびわ湖毎日マラソンなどはそうである。

そういった大会はもちろん重要なのだが、それと市民マラソンを混ぜるから意味のわからないことになる。

世界の名だたるシティマラソンに肩を並べようという、ワールドメジャーの東京マラソンを除けば、そんな夢のステージには手を出さずに身の丈にあった目的と規模で開催すればいいのである。

 

そもそもフルマラソンくらいのハードな運動は、健康には悪影響を及ぼす。

まさに好きな人だけが楽しめばいいスポーツなのである。

「とりあえずマラソン大会やっとけ」的なものは、もうそろそろ終いでいいのではないだろうか。

それでもあえて「マラソンで地域振興を!」と考えるのであれば、それなりの工夫が必要である。

あとは地域住民の協力を得られるかどうか。

マラソン大会に限らないが、「地域振興」というお題目なのに肝心の地元の人が置き去りにされているケースがよくある。

それも含めてやっぱり、「何のためにやるの?」をもう少し考えて欲しいと思うのである。