異呆人

毒にも薬にもならない呟き

万に一つは一回目に起こる

表題の文言と同様のセリフを言っていたのは、確か西尾維新氏の戯言シリーズの登場人物、「人類最強」哀川潤だったと記憶している。

読んでいたときに、なるほど面白い発想だなと思い、以来、心に留めている理屈である。

「万に一つ」というのは、言葉通りなら1万回に1回、確率にして発生率0.01%の事象である。

まずそんな確率に乗るギャンブラーは少ないだろうし(それは期待されるリターンの大きさにもよるが)、少なくとも当てにならない数字ではある。

例えば0.01%の確率で元手が3倍になるチャンスがあったとして、それに賭けるギャンブラーがいたとしたら愚か者の謗りは免れないだろう。

 

だが0.01%は0%ではない。

1万回に1回はその事象が起きるのである。

そして「万に一つ」というのは、1万回試して初めて起きるということではない。

千回目に起きるかもしれないし、8千回目に起きるかもしれない。

そう、1回目に起きることだってあるのである。

むしろ何回目だろうと0.01%という確率は変わらないので、試行した回数が多いか少ないかは、実際にそれが起きる確率の高低と関係ない。

1回目に起きるかもしれないし、1万回やっても起きないかもしれない。

「万に一つは一回目に起こる」というタイトルの表現は、「確率なんてその程度のもの」という意味合いである。

 

私はデータとか、数字で表される確からしい情報が好きである。

もちろん数字の裏側に潜む意味には注意しなければならないが、精神論や根拠のない勘よりは当てになると思っている。

しかし数字で表されることというのは、逆に言えば数字以上の意味はないのである。

例えば昨年から始めた競馬においても、同じことが言えるように思う。

素人の私には、データという数字で表される情報は非常にわかりやすい。

トモの筋肉の付き具合とか、気性、血統の良し悪しなんてものは見ていてもわからない。

だが、枠、脚質、馬体重による有利不利などは、勝率・連対率・3着内率というパッと見てわかる数字で表される。

なんともそれらしいし、実際その通りの確率で決着しているのだから、確率が高い方が起こりやすいことは間違いない。

だから最初の頃はデータに当てはまらない馬は率先して切っていた。

 

しかし参考に上げられるJRAのデータなどは、せいぜい10〜20回程度のデータであるし、天候や出走馬、レースのトレンドなどはその年によって毎回違うわけである。

根拠があって有意差が出るデータもあるだろうが、たまたま有意に見える差が出ているだけのものもあるだろう。

万に一つだって1回目に起こることはある。

言わんや、10回、20回においてをや。

「今までこのレースでは7歳馬の3着内率は0%」と言っても、今年は勝つ馬が出るかもしれない。

拙い予想を何度も繰り返すうちに、データなんて所詮はそれ以上の意味はないなと思うようになってきた。

最近はレースに関するデータはあまり参考にしない。

データで見るのは、馬のコース適性や馬場適性くらいである。

それもまぁ、苦手だけれども調子や相手関係によっては勝ってしまうこともあるわけで、「確率が高い、確からしい」という以上の意味はないだろう。

 

データを当てにしたから、あるいは当てにしなくなったからといって、大して的中率は変わっていない。

どれだけ一生懸命、あるいは精緻に予想したとして、当たるときは当たるし、当たらないときは当たらない。

それを言っちゃお終いかもしれないが、きっとそんなものなのだとは思う。

だから競馬は面白いと言えるし、当たらないからこそ当たるように予想の試行錯誤を繰り返す。

必ず勝てる勝負なら、儲かりはしても、きっと熱くはなれないだろう。

逆説的だが、競馬は当たらないから魅力的だと言える面があるかもしれない。

もちろん、無尽蔵に資金のある人間ならともかく、一般市民はまったく当たらないと続けてもいられないのだが。

それに当たると嬉しいし、金が増えればなお嬉しい。

金などいくらあっても困らないのだから、続けられる程度に当てたいというより、できれば一山当てたいというのが本音ではある。

 

さてさて、今週末も頭をひねりながら頭を抱えながら、競馬予想に精を出すとしましょうか。