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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

アレルギーな社会

随想

最近いろんなニュースや身の回りの出来事を見ていて、社会全体が一種のアレルギーを起こしているなと感じる。

アレルギーとは、免疫の過剰反応による機能不全をいう。

普通の人にとってはなんでもないものが、特定の人においては外敵として認識され、身を守るために免疫系が外敵を攻撃することが、逆に炎症という形で身体に悪影響を及ぼすのだ。

花粉症や食物アレルギーを始め、こういったアレルギーの仕組みは一般的にも認知されていると思う。

私はこの仕組みが、今の社会の状況をよく表しているような気がしてならない。

 

例えば、アメリカにおいてトランプ大統領を誕生させたようなポストトゥルース現象。

アメリカにおいてであれば、これは間違いなく移民に対するアレルギーである。

移民そのものは、すでにアメリカ社会に深く根付いている。

少し前には移民による就労ボイコットがあり、どれだけ身近に移民労働者がいるか思い知らせようなどという活動もあったが、それほど当たり前にいる存在なのである。

それに対して、テロの危険だとか、治安の悪化だとか、安い労働力が供給されることによる失業だとかが喧伝され、人々が過剰に身を守ろうとした結果が、トランプさんという稀代の迷大統領を生んだのだ。

もちろん、実際に移民による犯罪はあるだろうし、安い労働力が供給されることで職を失う人もいるだろう。

だがそれは、移民そのものが悪いわけではないし、移民を排除すればそれで済む問題でもない。

移民が犯罪に絡むとしたら、それは低賃金ゆえの貧困に問題があるだろうし、そもそも安い労働力を求めているのはアメリカの企業なのだから、移民の排除はアメリカに物価上昇をもたらす。

移民排除ができないわけではないだろうが、それはそれなりの代償をもたらすものである。

 

この場合、アレルゲンは移民である。

多くの人にとって移民は敵ではなく、身近にいる当然の存在だろうが、中には移民という驚異から身を守ろうと過剰に反応する人もいるだろう。

これがアレルギーの仕組みで言えば、免疫の過剰反応である。

しかし、移民に過剰に反応してしまうトランプ主義者のような人も、何も社会を混乱に陥れようとしてトランプさんのような人を大統領に選んだわけではない。

自分たちの身を守るため、自分たちの境遇が少しでも良くなればと思って、彼に一票を投じたのである。

良かれと思ってアレルゲンに反応しているところも、アレルギーの仕組みにおける免疫機能と同じである。

しかしその過剰反応の結果が、炎症として身体、つまり社会を蝕んでいることは明らかである。

移民を排除することの是非はともかく、少なくとも今、アメリカ社会はトランプ大統領の誕生により混乱している。

 

日本においても、保育所建設に対する近隣住民の反対などは、アレルギー反応ではないかと思う。

多くの人は、保育所ができるからといって反対運動を起こしたりしない。

だが特定の人にとっては、保育所が自分の生活を脅かす外敵に思えるのだろう。

まぁ実際に、保育所ができると騒がしくなるのは間違いない。

だがそれは、本当に自身を脅かすほどのものだろうか。

個人的な意見だが、子供の声がしない世の中というのも不気味だと思う。

電車で泣いている子供に舌打ちかます阿呆もいるらしいが、それは本来、社会が受容すべきもの、少なくともこれまで自然に受容してきたものなのだ。

それに対して過剰反応を起こすことは、最終的に炎症という形で社会を蝕む。

保育所不足による少子化や労働力不足として、回り回ってすべての国民に不利益を及ぼすのである。

 

仕事をしていても、例えば個人情報保護に関して、社会が過剰反応しているように思えてならない。

もちろん個人情報は各人がきちんと管理すべきものだし、間違っても企業などが漏洩させてしまうことは悪いことである。

しかし冷静に考えれば、住所や電話番号がわかったからといって、どんな身の危険があるというのだろう。

住所を知った暴漢が、玄関まで押しかけてくるのだろうか。

いや、せいぜいダイレクトメールが届いたり、不審なメールや電話があったりするくらいだろう。

そんなもの、やましいことがなければ毅然と対応すれば良い。

住所や電話番号であれば、その程度である。

口座情報やクレジットカード情報になれば話は違うだろうが、よほどのポカを自分自身がしない限り(例えばネットカフェのパソコンにパスワードを保存させるような)、きょうびの金融機関のセキュリティはそんなに誰にでも破られるものではない。

ネットにおけるアカウントの乗っ取りだって、ウィルスや迷惑メールを送られる程度のものである。

先日会社の同僚がLINEアカウントを乗っ取られ、知人に「Google Playを買ってその番号を教えて欲しい」とメッセージを送られていたらしい。

あからさまに怪しい。

これで引っかかる方も、引っかかる方だという気がする。

 

まして書類に生年月日を記入する際に、「個人情報だから」といって拒絶する人は何を恐れているのだろうか。

年齢がバレるのが嫌なのか。

それで「ふ〜ん、◯歳なんですね」と、心の中で思われたりするのが嫌なのか。

それとも名前と生年月日から、口座の暗証番号がバレるとでも思っているのか。

「こっちだって、お前の生年月日なんざ、知りたくもねぇよ!」と、声を大にして叫びたいところである。

もちろん、「いい大人」を自称する私は、そんなことはしないが。

 

また書いていて話が逸れたが、要は、自分の勝手なイメージで敵を作り、それに対して過剰反応しすぎてないだろうか、と思うのである。

身を守ろうとすることは悪いことではない。

自分を大切にすることは大切である。

ただそれが「自分さえ良ければ」になってしまっては、その行為がどこかの誰かを傷つけることに繋がりかねない。

できる範囲で受容し合う、一歩譲る、妥協する。

多くの人がそういう余裕を持てる社会になればいいなと思う。

まぁもっと突っ込んでいくと、そういう余裕を持てるようになるには良い社会でなければならないという、卵が先か鶏が先か、みたいな議論になってしまうのだが。