異呆人

毒にも薬にもならない呟き

「保護なめんな」を見て「サラリーマンなめんな」と思う

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このニュースを初めて見たとき、率直に何が問題なのかパッとはわからなかった。

このジャンパーを着ていた小田原市の職員たちは、生活保護そのものを悪だと言っているわけではなく、不正受給する奴らを悪だと断罪しているのである。

それのどこが悪いのか。

わざわざその心情をジャンパーに表して、それを作って受給世帯に着ていくことがやり過ぎだというのは、確かにその通りかもしれない。

生活保護そのものが悪であると受け止められかねない、という指摘も理解できる。

しかしあえてこのジャンパーを着て背中で語ろうとした人たちは、不正受給、もしくはその可能性が高いにもかかわらず制度に守られている人間に対して、無言で抗議しようとしていたのではないだろうか。

これは私の勝手な想像で、すごく私情の挟まった感想だが。

 

生活保護という仕組みは、社会に必要なものだと私は思う。

いろいろな事情があって、働きたくても働けない人は世の中にいる。

文字通り、どうしようもない人は世の中にいるのだ。

そんな人たちが「健康で文化的な最低限度の生活」を営むことができるよう、社会としてセーフティネットがあるのは当然のことである。

自分だって、何がどうなって同じ身の上になるかわからない。

たとえ経緯のどこかに自業自得的な側面があったとしても、守られるべき一線は存在すると思う。

 

しかしその一方で、不正受給する人間や、不正受給とまでは言わなくても、やむにやまれぬ事情なくして、ただ制度を利用するだけの人間がいるのも事実である。

いつだったか、「生活保護でも幸せに生きていけます」的なことを堂々と言う人をネットで見かけた。

今でもいるかもしれない。

幸せになるのは、どんな身の上でも難しいことではない。

頭の中がお花畑であれば十分だからである。

個の世界と実世界 - 異呆人

ただそれは堂々とネットで発信するようなことなのだろうか、とも思う。

少なくとも、自分以外の人間が稼いだお金で生きているわけだし。

働けるなら働くべきである。

それができないなら恥ずかしがらずに制度を利用すればいい。

「その方が楽だから」というような理由で制度を利用する人間がいるなら、そいつらを強制的に労働させる手立てを作ってほしいところである。

まぁ、そんなことは人権や法律の絡みでできないから、現状が続いているわけではあるのだろうが。

 

生活保護から少し話は逸れるが、真面目に労働することがバカにされる、軽く見られるということが、私はどうしても承服できない。

缶コーヒーのCMではないが、世界は無数の「誰かの仕事」で出来ているのである。

最近、日本電産が流しているCMの「もし日本電産がなかったら」というのと同じことである。

私たちが普段意識しない其処彼処に、どこかの誰かの仕事が溢れている。

いろんな仕事をして、いろんな業界を見てきたから、特にそう思うのかもしれない。

時折、目にするもの、触れるものの後ろに在る、誰かの汗を想像してしまう。

私たちが今の暮らしを維持できるのは誰かの仕事の積み重ねの結果だし、同じく私たちが仕事をすることで今の社会が維持できているとも言えるのである。

 

働かなくても生きていける。

与えられた境遇によっては、そういう選択が継続的に可能になる人もいる。

ある意味では、人間社会はそれだけ優れている、よくできているのである。

人類の何%かが就労しなくたって、問題ないような仕組みなのである。

ただ社会がそれだけのバッファを持っているという事実と、働かなくてもいい、ということは違うと思う。

本来、働ける人がきちんと働いたなら、社会はより良くなるはずなのである。

供給というのは需要があるから発生する。

満たされていない需要というのは、社会がより良くなる余地だとも言える。

完全失業率0%の社会が理想であることは間違いないと思う。

労働に見合った対価が得られるか、創出された価値がどのように分配されるかという問題は、別の議論である。

 

「好きなことを仕事にする」ということも、すべての人ができるわけではない。

「男の子(女の子)がなりたい職業」というアンケートが、毎年なされている。

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もし、このアンケート結果通りに就労が果たせてしまったらどうなるだろう。

世の中にはサッカー選手と食べ物屋さんが溢れてしまう。

よほどロボットやAIの発達で産業構造が変わってしまえば話は別だが、現状では間違いなく社会が破綻してしまう。

リアルに、明日食べるものにも困ることになるだろう。

私たちは皆が皆、なりたい職業に就けるわけではない。

なりたい職業ではないが、誇りを持って仕事をしている人もいるだろう。

いやいや仕事をしている人もいるだろう。

いつ辞めようかと考えながら仕事をしている人もいるかもしれない。

働く側の人間の気持ちがどうであれ、就労環境がどうであれ、少なくともそういった仕事の積み重ねで社会は成立しているのである。

だから「胸を張れ!」的なことが言いたいわけではなく、「嫌なら仕事を辞めたらいい」と、まったくそう思うのだが、それと同時にそんな認識は持っておいてほしいなと思うのである。

 

あの「保護なめんな」ジャンパーを見て、思考がつらつらとこんなところまで流れてしまった。

そして関係ないのに、「サラリーマンなめんな」と思う。

「働いてるのがそんなに偉いのか!」と言われたら、堂々と「偉いんだよ!」と言いたい。

それは人間的に上か下かとか、そんなチープな議論ではなく、「労働を通じての社会参加の総体が一人一人の生活を支えるという循環」への寄与が、それだけ有益だということである。

社会にとって有益で、それは個々人にとっても有益なはずなのだ。

問題なのは、その有益性をストレートに個々人が享受できないこと、歪みがあってバイアスがかかっているということである。

それが労働に対するモチベーションを低下させることにつながっているのだ。

貧富の格差、社会的不平等。

これは現代社会の世界的で継続的な課題でもあるのだが、それはまた別のお話。

あぁまた話が逸れてきた。

とりあえずもう1回、「サラリーマンなめんな」って言っておくか。