異呆人

毒にも薬にもならない呟き

将棋連盟の不始末に思うこと

散々持て囃された三浦九段の将棋ソフト不正使用疑惑は、「不正は認められなかった」という素っ頓狂な結果に落ち着いた。

調べた結果そういう判断になり、疑いが晴れることは何の問題もないが、問題はタイトル戦への出場停止という処分を先に行ってしまっていたことにある。

「間違い」で重要な戦に臨む機会が失われたのであれば言語道断だし、補償のしようもない。

「取り返しがつかない」というのは、こういうことを言う。

ちなみに、これについては以前に少しだけ触れていた。

シンギュラリティ突破後の将棋 〜三浦九段のソフト不正使用疑惑に絡めて〜 - 異呆人

 

こういうゴタゴタには初めから興味はない。

結局、事の真相などごく一部の当事者しかわからないだろう。

三浦九段が疑われたのはたまたまではなかったろうし、今回の問題に至るまでのなにがしかの積み重ねがあったのだろう。

事実ではなく、人の感情が多分に入っている。

そんな感情を白日に晒す方法は当事者が正直に話す他なく、事がここまで大きくなれば、何年も後にならない限り明かされないと思う。

それ以外の方法による推測など邪推でしかなく、それは結局、三浦九段を疑った方法と同じである。

事実は一つしかないが、見方はたくさんある。

 

将棋連盟会長は谷川さんから佐藤康光さんに変わった。

形の上でのケジメは大事である。

佐藤康さんの将棋の腕前は言うまでもないが、組織運営はまたまったく別の腕前が要求される。

現状では少なくとも、火中の栗を拾う行為ではある。

かわいそうと見るか、勇敢と見るか。

さておき、私はさっさと連盟に外部の人間を入れた方が良いと思う。

企業でいうところの社外取締役みたいなものである。

そういうマネジメントを本業とする人に舵取りを任せるか、少なくともアドバイスを求めるべきだろう。

まぁこれは将棋に限った話ではない。

 

プロ棋士など、中学生や高校生で入ることもある世界である。

棋士を目指して将棋に明け暮れるのは、もっと早い時期からだ。

人間性というのは他者との関わりの中で磨かれていくので、将棋だって対人戦である以上は、棋士も人間性を磨く機会はいくらでもある。

棋士が人間性において、一般人より劣るとは思わない。

ただし組織の運営、マネジメントとなると別である。

マネジメントの技量というのは素質もあるが、実際にやってみたり、間近で観察しないと磨かれない。

将棋を指すことを生業とする棋士がマネジメントを経験する機会など、それこそ連盟の仕事に携わるか、普及活動に精を出すかしないと生まれないだろう。

そしてそれは指すことを本流とすれば、傍流にあたる活動である。

そんなことする時間があれば研究しろ、と言われかねない。

今回の一連の問題に対する連盟の対応は、中学生の学級会レベルだと思うが、それもむべなるかなという気がする。

だから取った対応が悪くないとか、関係者や責任者の処分の必要がないということではないが。

 

八尾長問題に揺れた大相撲や、体罰が取り沙汰された柔道なども同じである。

確かに、その道のことはその道の人にしかわからない部分がある。

伝統とか文化とか風習とか不文律もあるかもしれない。

外部の人間がうまくやれるとは限らないし、何もかも改革すればいいというものではない。

だがせめて、世間一般の人が納得できるレベルの組織運営ができるように、別の視点を取り入れることは悪いことではないはずだ。

それこそ普及活動も、マーケティングの概念を取り入れれば、もっとうまくいくのではないだろうか。

将棋という競技・遊戯には、それだけの魅力がある。

 

私はさほど見る方には興味がなく、指す方も素人丸出しレベルなので、自分が楽しむ分には今回の問題の影響は感じない。

だが、もしより多くの人に興味を持ってもらおう、将棋を好きでいてもらおうと思うなら、どこかでしっかりケジメをつけた後は、それはそれぞれの棋士が熱戦を繰り広げることでしかなし得ないだろう。

それはスポーツでも知能競技でも同じことである。

マネジメントはともかくプレーヤーとしては一流なのだから、本業で魅せることができるはずだし、そうするべきだと思う。

こういうときに必要なことは雄弁に語ることではなく、行動する背中で示すことである。