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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

自己目的化の罠

随想

私はCFPというファイナンシャルプランナーの資格を持っている。

以前、それを仕事にしていた時期があり、そのときはCFPまで取得できなかったのだが、その後、趣味で取得してしまった。

それとは別に1級ファイナンシャルプランニング技能士の資格も持っている。

CFPは業界団体認定の国際ライセンスだが、1級技能士は国家資格である。

CFPはライセンス維持に継続教育と協会への会員登録が必要であり、年会費としてランニングコストがそこそこかかる。

1級まで取れたし、とりあえずは今の仕事を続けて資格は使わない予定なので、もうCFPは切ってしまってもいいかなと思っている。

 

莫大なコストではないので積極的に辞めるつもりもなく、資格を更新せずに失効という形でいいかと考えている。

ただまだ資格はあるので、協会から会報が届く。

興味のある分野ではあるので、ざらっと目を通している。

その会報に、資格を取って開業したばかりの人の文章が載っていた。

「毎月◯◯人に会うことを目標に、地道に活動しています」というような内容が書いてあった。

私も完全な自営業ではないが、同じような仕事をしていた時期がある。

そういえば、かつての同僚にそんなことを言っている奴が何人かいたなと、少し懐かしく思い出した。

 

こういう目標の立て方は悪いことではない。

まず、非常に具体的で明快である。

「しっかりした知識を身につける」とか、「お客様に満足してもらう」といった漠然とした目標と違い、できたかできていないかがはっきりわかる。

加えて簡単である。

これが「◯件の契約を取る」といったものになれば、難易度は格段に上がる。

人は小さな成功体験を積み重ねていかないと、時として前に進めないというか、途中で心が折れてしまうことがある。

忍者だって、成長の早い麻を毎朝跳び越える修行を重ね、塀を跳び越える脚力を手に入れようとするのである。

人と会うことを続ければ、その中の何人かはお客様になってくれるかもしれない。

まずは「会う」というハードルをクリアすることに焦点を当てるのも、一つの考え方である。

 

しかし、こういった目標設定の仕方は、常に本来の目的を意識していないと、それ自体が自己目的化してしまうことが往々にしてある。

確かに契約を取る、顧客を獲得するには、人に会うことが必要である。

だがもちろん、本来の目的は人に会うことそのものではなく、契約を取ったり顧客を獲得したりすることであるはずだ。

もし会うだけで終わってしまっているのであれば、それでは目的は達成されない。

「人に会う」という目標が何とか達成できる程度なら、本来の目標達成など不可能であり、すでに計画は破綻していると言える。

小さな達成感を得られることになど、何の意味もない。

 

あるいは手段が目的化してしまうこともよくある。

例えば学校で勉強する目的は、社会で生きていく力を養うことである。

そのために知識や教養を身につけることが必要だから、数学やら国語やらを勉強するのである。

知識がどの程度身についたか確認するためにテストをしたりする。

だからテストというのは知識や教養を身につける手段の一つである。

これが目的化されてしまうと、テストで高得点を取ることだけを目指すようになってしまう。

その結果、正解探しのテクニックばかり身について、肝心の知識や教養が身につかずに終わってしまう人がいる。

 

「毎月◯◯人に会うことを目標にしています!」という文章を読んで、そんなことを考えた。

ぜひ頑張ってほしいと思うし、その先の目的まで達成してほしいと思う。

やりたいこととか、目標を目指すことは素晴らしいと思うから。

高揚から冷めて我に返ったときに、手元に何も残っていないなんてこともあるかもしれないが。