異呆人

毒にも薬にもならない呟き

老成していると言われても

年末に取引先回りをしているときだった。

そこの店長と話をしているときに、マネージャーが急に現れたので、「あぁどうも、お世話になっております」と挨拶したら、何がどう引っかかったのか知らないが、いきなり「若さがない」と言われた。

当方30代前半である。

若いと言われれば若いが、いわゆるフレッシュマンのような若さはない。

会社は変えども、10年近く営業現場だけを歩き続けてきた人間であり、業務に対する初々しさもない。

もとより熱意のようなパワーで押すタイプの営業ではなく、水のように形を変えて相手のタイプに合わせて懐に入り込むタイプである。

若々しさなど出ようもない。

「そんなに若くないですよ」という言葉が喉元まで上がってきたが、一旦それを押し込めた。

目の前のマネージャーは40代半ばの女性である。

私が若くないなら、彼女は一体どうなるのか。

どこに地雷が潜んでいるかわからない。

「そうですか?若いつもりなんですけど」と言って、笑い流すに留めた。

 

「老成している」とよく言われる。

高校生の頃から「長老」とあだ名されていたりした。

それは私が、如何なる状況でも何事にも落ち着いて対処できる人間を志向したからであり、それをして「老成」などと言われるのは副産物のようなものである。

老けて見られたいわけなどない。

落ち着いた人間になった結果、老けて見られることになっただけである。

まして「若さがない」などと言われても困る。

私は年齢なりには若いし、エネルギッシュに活動しているつもりだし、それで「若さがない」なら、それは見る側の問題だと思う。

それに、年齢を経て容姿は若く見られるようになってきているのだから、所作振舞が「若くない」と言われる原因なのだろうが、30過ぎた男が若ぶってキャピキャピしている方が気持ち悪くないだろうか。

 

落ち着いて見られる、あるいは実際に落ち着いていることに悪いことはないと思う。

落ち着いていることと腰が重いことは別だし、表面的な反応が薄いことと感性が鈍いことも別である。

つまり、落ち着いていて、瞬発力があり、感受性豊かであればいいわけである。

成熟した心と子供のような澄んだ心を合わせ持てばいいのである。

不可能ではないと思う。

難しいことは間違いないが。

 

私の場合、いろいろなことに浅い興味は持つが、時間や労力や資金などのコストをかけてまで取り組もうというほどに、興味を持つことは少ない。

情報だけ仕入れて終いにすることも多い。

または、やってみてもすぐに飽きたり、浅いレベルで投げ出すこともある。

それでもある程度は形になるので、自分の中でのバリエーションというか、手札や選択肢にはなり得る。

そうやって話題やシチュエーションに対する対応策が増えていくと、ちょっとやそっとのことで動じないようになっていき、さらに落ち着きが増していくのである。

 

それ自体は悪いことではないと思っている。

「老成している」と言われても、「だからどうしろと!」と思うだけで、特別不愉快なわけではない。

ただ、知った気、わかった気にならずに、目を輝かせて取り組める何かは探していきたいなと思う。

もしそんなものが見つかれば、老いた風に見られることも減るのではないだろうか。

そんなものがあれば、これまでの30年超の人生で見つかっていそうな気もするが、まぁそこは焦らず気長に探していこう。

いや、こんなスタンス自体が、やはり老成していると見られるのかもしれないな。