異呆人

毒にも薬にもならない呟き

明日死んで困ること

仮に明日死ぬことになったとして、困ることなどあるだろうか。

いろいろ想像してみるが、思い当たることがない。

やっておけば良かった、やりたかったと思うことがない。

いや、もちろん細かいことを挙げればキリがないのだが、それが死ぬまでにやりたいことかと言われればそうでもない。

せいぜい「余裕があったらやりたいこと」程度である。

「どうしても」と思うことは、たいてい終えてしまった気がする。

「人生なんて壮大な暇潰し」と豪語していたことがあるが、今でもその気持ちに大した変わりはない。

 

自分が死んで困る人はいるかもしれないなと思う。

妻になる予定の人は間違いなくそうだろうし、職場だっていきなりいなくなられたら代わりは効かない。

親兄弟や友人は実害はないだろうが、ひょっとしたら少しくらいは悲しむかもしれない。

そう考えると、自分が死んで困ることはないが、死んでしまうことが申し訳ないなとは感じる。

死にたくないとは思わないが、簡単には死ねないなと思う。

 

生きていく上での一つのテーマが、「明日死んでも後悔しない生き方」だった。

それは今さえ良ければ将来のことはどうでもいいという刹那的な生き方ではなく、それくらい丁寧に生きていきたい、生きているということの横に死を意識して置いておきたい、ということである。

皮肉なのは、そうやって全力で、丁寧に生きていくほど、白地図を塗り潰すように生きることに対する未練がなくなっていくということである。

どんどんやりたいことが浮かんでくる人、白地図が広がっていく人が羨ましいなと思う。 

「こうありたい」という理想の自分にもなれている。

自己矛盾を起こすことはあっても、自己嫌悪に陥ることはない。

自分がこれから変わるとしたら、スキルやアビリティなどのオプションを充実させていくしかないのではないかと感じる。

 

いろいろ夢を見ながら人生の道のりを歩むのではなく、ただ目の前の道のりをぼーっと眺めているイメージ。

どちらに進めばいいのか悩んでいる感じではない。

道のりが見えてしまっていることに、諦めに近い落ち着いた感情を抱いている。

それが予定調和でない展開になるのなら、それはそれで面白いのだが、少なくともここまではいろいろ弄ってみたところで、大筋に大した変化はなかった。

あちこち行って、いろんなことをして、それでもこれだと思う何かは見つからず、ぐるっと1周回って同じところに戻ってきたような徒労感を覚えた。

だから、「もういいか」と思って、寄り道することを止めることにした。

 

もっと若い頃のような焦燥感は、もうない。

毎日を充実させようという気概もない。

緩やかに、あるがままを受け入れている現状に不満はあるが、かといって、どうしたいという希望もないのだからどうしようもない。

改めて、「明日死ぬことになったら」と考えてみて、恐怖も悲観もない現状に、ホッとするような、大丈夫かと思うような、不思議な気分である。

それは10年以上、私の芯が変わっていないということである。

良いことなんだか悪いことなんだかわからないし、今はもう、そんなことどっちだっていいような気がしている。