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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

住めば都②

 住めば都① - 異呆人

前回の続き。

4件目の物件に彼女が好感を示しているのを感じながら5件目。

築浅で綺麗だし、間取りも悪くない。

駅からの距離も比較的近いし、大型スーパーにも近い。

しかしながら正面が墓地(笑)

事前にその情報を聞かされた上で訪問したのだが、あまり気にしない私すら思わず笑ってしまうくらいの立地だった。

「そんなに墓地感ないですよ〜」と事前に説明してくれた女性が話していたが、いやいや、これで墓地感がないと言えるのは、どんな墓地のそばでも気にしない人くらいだろう。

私は住めないことはないが、彼女がドン引きで早々と引き上げた。

 

最後に訪問した物件が不動産屋の一番のオススメだったが、まだ入居者がいる退去予定の物件で内見ができなかった。

一応、車でそばを通ってくれ、周辺環境だけ確認した。

駅から近く、築年数も比較的浅いし、コンビニやドラッグストアなどが近くて便利である。

広さも十分で、間取りも悪くないし、南向きの窓がついており日当たり要件もクリアしそうだ。

難点は、駅前通りの角地なので多少喧騒があることと、家賃が許容上限いっぱいなことである。

人気があるから、退去者が出るとすぐ埋まるらしい。

 

ここまできて、4件目と最後の物件で大いに彼女が悩むことになる。

私は多少高くても便の良い最後の物件が良いのではないかと思ったが、彼女が4件目が良さそうだし、正直どちらでもいいことには変わりないので、うまく彼女が意思決定できるように促した。

優柔不断で面倒といえばそれまでだが、まぁそれが良い方向に働くこともあるので、人間の性格というのは多面的なものだなと思う。

一旦、持ち帰って検討することにはしたが、彼女には4件目の物件で決めることを確認し、一応、彼女の親に了解をもらうことにした。

義父になる人は「これはダメ!」というラインが明確にある人なので、それに引っかかってないか確認してもらうためである。

誰かと生きるということ、結婚するということは、つくづく周りの人間関係まで根こそぎ引き受けることでもあると思う。

 

ところが、それから2,3日して彼女に電話したら、やはり最後の物件にすると言い出した。

彼女の父がそちらが良いと勧めたようである。

義父になる人は、絶対にそちらが良いと言うと思ってはいた。

だから相談ではなく、了解をもらうようにしてほしいと思っていたのだが、彼女は意見を聞いてしまったらしい。

大丈夫かと思って、そこまで細かく指示しなかったことがよくなかったか。

 

私自身はその便の良い最後の物件の方がいいくらいだが、彼女が人の意見を聞いて翻意したことを後々悔やまないか心配した。

おそらく3,4年は住む部屋である。

できれば選べるものの中で、好きなところを選んでほしい。

人間は自分の選択を肯定したがるものである。

だから好きなところを選んだのであれば、後々不具合が出てもそれには目を瞑り、良いところに注目しようとする。

逆に他人の意見を参考にしてしまうと、悪い部分の方が目にいってしまい、「ああしておけばよかった」と後悔が出るものなのである。 

彼女は自分が決めることにも重圧を感じていたようだった。

いや、私が選んでもいいのだが、そしてそれならスパッと高速で決まるが、それはそれで不本意だろう。

心底どちらでもいいと思っている、妥協のできる人間が決めるより、こだわりのある人間の意見を優先した方がいいに決まっている。

ああだこうだと意見を交わしていると、段々と面倒になってくる。

 

そこで初めて、自分が今までどのように住む部屋を選んできたか考えると、素晴らしく適当であったことに思い至った。

なんせ私は4回引越しをしているが、内見をしたのは学生時代の最初の一度だけである。

あとの3回は、間取りの見取り図などのデータだけ見て決めている。

そこまで豪胆というか、めんどくさがりな人間もなかなかおるまい。

私は南の島に住んだこともあれば、豪雪地帯に住んだこともある。

真実、どこであっても住めば都だと思っている。

だから住む地域にこだわりはないし、粗々の条件さえ合っていれば細かいところには目を瞑れると思っている。

結婚だってそんなものだろう。

「結婚したら片目を瞑れ」というのは、経験則の積み重なった至言だと思う。

 

そんなこんなで新しい住処がおおよそ決まりそうである。

一応、今住んでいる人が退去してから、内見だけして決めることになっている。

住むところ以外にも決めなければならないことは山ほどあり、不安なこともたくさんある。

まぁ、不安なのは大方彼女の方で、私はなるようになるくらいに思って、鷹揚に構えているわけだが。

結局、目の前のタスクを一つ一つ処理していくしかないのである。

どんなにバラ色の未来を想像しようと、どんなに大きな夢を語ろうと、将来に不安や迷いがあろうと、その「将来」とやらには所詮目の前の「今」を積み重ねていくことでしか辿り着けないのだから。