異呆人

毒にも薬にもならない呟き

損得って結局、個人レベルの問題だと思う

東京都の小池知事があれだけ騒いだオリンピック会場の問題は、概ね当初決まった通りに話が進みそうである。

「大山鳴動してネズミ一匹」と言った人もいたようだが、結果的に費用の見直しにつながったのであれば良かったとは思う。

ただし、「あれだけ何やかや人を動かして結局一緒かい!」という批判ももっともな訳で、会場見直しまで提案した調査チームは一体何をしていたのだという話である。

結局、現場のことを知らない人間の机上の空論だったと言われても仕方ない。

 

そもそもが見積りの取り方とか、きちんとしていたのかなという疑問がある。

通常、積算見積りなんてのは、「これ以上高くなりません」という余裕を持った金額が提示されるものである。

資材価格や人件費の高騰などの変動要因はあろうが、何億円も上振れること自体が異常だと思う。

そして積算見積りが余裕を持った金額で提示されるのだから、NETの価格はもっと叩く余地があるというのが民間企業であれば通常の発想である。

そこがなんともお役所仕事だなという気がする。

さすがに施工する側も、今回の件で「もっと安くする余地がありました」なんてことは、世論に対する向きもあって言えないだろうが、「設備をこう縮小してこれだけに抑えました」という金額の中には、そもそもまだ安くなる余地があったということは言えると思う。

 

オリンピックの会場など、活用策はいろいろ検討されているようだが、建ててお終いになりかねないものがほとんどである。

だから安く建てられるなら安く建てられた方が良い。

個人的には、東京でオリンピックなんてやらなくていいと思うくらいである。

ただ一時的に経済の活性化に貢献するのは間違いないことで、リオ五輪のときのブラジルもそうだったが、この時期は施設の建設で土建屋さんがウハウハすることになる。

土建屋さんがウハウハするということは、そういった大手ゼネコンの従業員がウハウハするということであり、また下請けなどで現場に入る鳶さんらもウハウハするということである。

彼らの中には金回りがいい人が結構いるので、飲食店とか小売店とか夜のお姉ちゃんとか、ウハウハのおこぼれに与る人もいるかもしれない。

そしてその余波はさらに小さなさざ波となって、また別の人の元に届くかもしれない。

風が吹けば桶屋が儲かる」ではないが、経済というのは実に上手に、そして面白く出来ている。

 

もちろんオリンピック会場の建設費は都民の税金や国民の税金から出ていくわけで、特定の事業者に利益を与えるためではない。

だからオリンピックの実施による感動や興奮といった無形の部分も含めて、皆がフェアに恩恵を受けられるようにしなければならない。

しかし例えば税金で建てられる施設だからと、事業者をバンバン叩いて値下げさせるのも違う話だと思う。

適切な価格で施工してもらい、適切な利益を得てもらえばいいのである。

そのバランスを取るのが難しいのだが、東京オリンピックの場合、その難しい仕事をするのが都庁なのである。

都庁職員だってそれなりの給料をもらっているのだから、それなりに高度な仕事をしてもらわなければならない。

都庁職員はハードワークだという話を聞くことがあるが、仕事の量とその質の高低とは別の話である。

 

話が少し逸れたが、世の中というのは誰かが儲かれば誰かが相対的に損をするように出来ている。

ただ誰かが儲かった分は、回り回っている間にいろんな人に恩恵を与えているはずなのである。

だから目先の損得は結局、個人レベルの問題でしかなく、それが社会のため、誰かのために役立っていると思う海のように広い心を持てるなら、さほど気にすることでもないのかもしれないな、と思ったりするのである。

しかし、誰かの儲けの恩恵は万人の元に適切なタイミングで回るわけではない。

だから必要なときに必要な人の手元に渡るように、富の再分配を公が担わなければならないのである。

 

まぁそんなことを言ったって、誰もしもその人の人生は一度きりで、その人の人生はその人自身しか責任を取れないわけである。

だから「他人の幸せなんか知ったこっちゃねぇ」という意見もごもっともである。

社会というのは、そんな個人の「自分さえ良ければ」というエゴの塊なのだが、それがいろんな善意や大義でカモフラージュされて展開されている。

小池知事もそう。

都が負担するオリンピック予算を縮小するという大義の下に、自らの実績を上げたい、成功した政治家になりたいという思いが見え隠れする。

気にすることでもないのだが、気にして見ていると、ときどき滑稽だったりする。