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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

日本の車内から

随想

先週の日曜に、彼女と日帰りで出かけていた。

目的地は山間の観光地。

彼女の住んでいるところからはそうでもないが、私の住んでいるところからはかなりの距離がある。

うまく合流できないので、ほぼ現地集合。

電車に揺られること約2時間のshort tripである。

 

私は移動時間が好きだったりする。

特に電車などの自分で運転しない乗り物は、何かをしながら移動までできる。

なんとお得感のあることだろう。

本を読むも良し、スマホゲームをするも良し、物思いに耽るも良し。

やりたいことがいろいろあって、 これほど魅力的な時間もそうそうない。

家でダラダラ時間を過ごすときと違うのは、目的地まで移動する時間を有効活用しているという感覚に尽きる。

家でダラダラしていると、たとえそれが当人のやりたいことであり、自由であったとしても、なんとなく無為に過ごした感じがするというか、罪悪感のようなものを感じるのは私だけだろうか。

 

電車には様々な人が乗っている。

そういった人たちを観察するのも、電車移動の時間を楽しむ方法の一つである。

別に電車に限らず街中には様々な人がいるわけだが、歩いているとすれ違ったりするのは一瞬だし、まさか面白そうな人がいたからとて、後ろをついていくようなことはするまい。

電車の中では、しばらく乗り合わせることになる。

場合によっては、至近距離でしばし時を過ごすことになる。

そんなシチュエーションは他になかなかない。

人生における限りなく短い時間の一期一会である。

 

その日は休日とはいえ、比較的朝早めの時間帯だったので、行きの車内は空いていた。

席に座り、スマホゲームをしたり、スマホで新聞を読んだりしていた。

ふと顔を上げると、老紳士が対面の座席に座っていた。

白髪混じりのオールバックが丁寧に固められている。

黒いジャケットに白のチノパン。

靴はウォーキングシューズだが、鞄は使い込まれているが良いものであることはすぐわかった。

身なりの整ったジェントルマンである。

スマホを睨みながら、何やらメモ用紙に書き込んでいる。

 

何か調べ物をしているのかと思ったが、傍に見慣れたものが置かれているのを見て悟った。

老紳士の隣の空いた座席には、競馬新聞が置かれていた。

よく見ると、手に持っているペンは赤ペンである。

裏返してこちらに向けられたメモ用紙には、几帳面そうな字で、3つの数字がハイフンで繋がれたものが並んでいた。

3連単でも買うつもりだろうか。

直接新聞に書き込まず、メモ用紙に馬券の候補を書き込んでいるあたり、この老紳士の性格がうかがえる。

非常にジェントルな雰囲気を醸しながら、彼は予想に励んでいた。

 

新聞は金曜の東スポだった。

土曜のそれでないあたり、この老紳士は金曜の夜から、おそらくその日のマイルチャンピオンシップについて、みっちり考えていたものと推察される。

ときどき顔を上げ、視線を宙に彷徨わせている。

その顔は悩んでいるというより、考えていることを楽しんでいるふうに見えた。

この電車は競馬場方面には向かわない。

つまりこの老紳士には、今日は他に用事があるのだろう。

だから午前中のこの時間に、馬券を買ってしまわねばならないのだろう。

非常に親近感が湧いた。

「何から買うつもりですか?」と聞きたかった。

ボックス席だったら聞いていたかもしれない。

そんなことを考えているうちに、電車は目的地である終点に着いてしまった。

まったく関係のない人ではあるが、彼のその日一日の幸福を願わずにはいられなかった。

 

デート先の観光地は非常に混雑していた。

電車とバスをからめながら、移動しながらの観光だった。

そのため半分以上は移動時間だが、人が多かったのでただ苦痛でしかなかった。

もちろん彼女が隣にいるので、スマホを取り出して弄るわけにもいかない。

車内に美女がいたからといって、じっと眺めるわけにもいかない。

観光はそこそこ楽しかったが、それ以上にくたびれてしまった。

 

帰りの電車もそこそこ空いていた。

日曜の夜、少し遅めの帰宅路だったからかもしれない。

始発駅から乗れたので、座ることもできた。

電車に揺られながら、これとは別のブログ記事をスマホで書いていた。

途中から、隣に老夫婦が座っていた。

漏れ聞こえる会話の内容からすると、日曜の夜遅めの時間だが家に帰るのではなく、どこかに出かけるようである。

どこで電車を降りればいいか、しきりに気にしていた。

 

しばらくすると、男性が携帯電話の不調を訴えだした。

なんでも、メールを送っても相手に届かないらしい。

しかも、急に英文の不審なメールが届くようになったという。

婦人が携帯を受け取り、その不審なメールとやらを確認している。

そして「デーモンだって!悪魔よ、悪魔。何かウィルスに感染したんじゃないの?」と騒ぎ出した。

それまでのチラ見ではなく、思わず凝視してしまう。

違う、ご婦人、それは悪魔ではない。

demonではなく、daemonである。

 

私の凝視には気付かず、老夫婦は二人でああだこうだと話し合っている。

携帯を変えた方がいいだろうか、とか言い始めた。

違う、それは送り先のメールアドレスを打ち間違えただけだ。

もしくは、送り先のアドレスが変わってしまっただけだろう。

教えてあげようと思って横を向いていたが、二人の活発なやり取りに割って入る気力はなかった。

人混みにもまれて、疲れていたせいかもしれない。

しばらくすると、老夫婦は電車を降りてしまった。

できるだけ早く真実に気づけるよう、祈らずにはいられなかった。

 

あぁ、電車には様々な人が乗っている。

とても魅惑的な空間だと思う。