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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

シンギュラリティ突破後の将棋 〜三浦九段のソフト不正使用疑惑に絡めて〜

社会

将棋の世界の話でネット上が賑わっていると思ったら、三浦九段の対局中の将棋ソフト不正使用疑惑という、あまり嬉しくない話題だった。

最近はあまり将棋を指していないが、私も数年前までは将棋ウォーズで課金して指したりしていた。

ただ10分持ち将棋とはいえ、正味一戦に20分ほどかかるわけだから、繰り返し対局して使う時間は半端ではない。

出張での移動時間に指したりしたいのだが、途中で通信が切れたときの絶望感が凄まじいので、それはできない。

ちなみに棋力は洒落で指す程度のものである。

そんなこんなで指す方はご無沙汰だが、好きではあるので将棋に関する話題には目がいってしまう。

だがさして贔屓の棋士がいるわけでもなく、強いて言えば羽生さんが好きで、いつまでも最強であってほしいと応援しているくらいである。

小学生の頃、寝癖が酷くて「あんたは羽生か」と学校の先生にツッコマれていたのが懐かしい思い出である。

 

なので三浦九段についても名前くらいしか知らない。

A級棋士だと思っていたが、昨年A級から陥落していたようである。

今回のソフト不正使用疑惑についても、さしたる感想はない。

指摘した棋士は複数いたようだが、本人は潔白を主張している。

将棋連盟もこれ以上の処分はしないと手打ちを決めた。

そもそも処分もソフトを不正使用したから処分されたわけではなく、疑惑のある状態での対局を避けるための処分である。

囲碁ではないので白黒つける必要はないのかもしれない。

私も白だろうが黒だろうが、そこにはあまり興味はない。

 

むしろこのニュースがそれほど話題になったことが興味深いと思った。

おそらくこのニュースが話題になった理由は、「タイトル戦に出るようなプロ棋士がソフトを使って『カンニング』をしていた」という事実に対するバッシングだと思われる。

つまりソフトの使用はいわゆる『カンニング』に匹敵する効果を持っていると、広くみなされているわけである。

今回の件も絡んでいるのだろうが、将棋連盟も対局室にスマホを持ち込むことを制限するルールを設けた。

つまり一般の人も将棋連盟も、「人間はソフトに勝てない」という事実を広く認めたわけである。

それもA級棋士やタイトルホルダーに勝つだけの効果があるものだと。

これが数年前なら「ソフト?どうぞ使ってください」だったはずである。

 

近年の電王戦やその後継戦となった叡王戦の内容や結果を見て、人間はもうソフトにまともに勝てないのだと見せつけられてはいたが、今回の件でそれを改めて思い知らされた気がする。

過去の電王戦の顔ぶれを見ても、トップクラスの棋士なのは間違いないが、日本将棋界の顔となっているような棋士は出場していない。

それは「あるいは彼らなら」という希望を持たせる措置であり、一般の人にソフトと人間の力量差を見誤らせる措置でもあったと思う。

私は個人的な希望として、羽生さんには人類最後の砦として立ちはだかってほしいと思っているが、現実的には羽生さんでもほとんど勝てないほどの力を将棋ソフトは持ってしまっていると思う。

将棋における技術的特異点、シンギュラリティはとうに突破されている。

将棋より通り数の多い囲碁ですら、すでにこの特異点を迎えているのである。

 

では、シンギュラリティ突破後の将棋はどうあるべきなのだろうか。

私はいい加減、叡王戦のような人間対ソフトの対局はやめたらいいと思う。

人間がソフトを練習相手に新しい指し手を考えるのはいいと思うし、ソフト対ソフトで開発の腕前を競うのもいいと思うが、人間対ソフトという構図はもはや成り立たないと思う。

暗算でコンピューターに勝てる人間はいないし、自動車より早く走れる人間もいない。

そういった人間が機械に勝てない分野に、将棋も入ってきたのだから。

人間対人間の対局というのは、指し手の良し悪し以上の何かがある。

緊張があるし、集中力が切れることもあるし、動揺もあれば、油断もある。

だからこそ、将棋にはドラマがあるし面白いのである。

特に近年の羽生さんの将棋を見ていると、どうしても棋力以上の何かを感じる。

 

この人間対人間の将棋の面白さを担保するために、ソフトの使用を禁じるルールを設けるのは妥当である。

そうすることで、人と人が盤を挟んで向かい合う対局の意義がより強調されると思う。

面白いのだから、将棋は。

プロの対局など見ていても、一手一手の意味などわからないが、間違いなくこの人たちはすごい勝負を繰り広げているというのは伝わってくる。

そういった人が魅せる技として、将棋の面白さが広まっていってくれたらいいのになと思う次第である。