異呆人

毒にも薬にもならない呟き

友情の形

前々職の取引先の人たちと旅行に行ってきた。

最初に参加したときは、まだ在職中だったと思う。

取引先のアンオフィシャルな社員旅行に呼ばれたような感じだった。

私以外にもその会社の取引先の人が参加しており、仕事の延長上のようなものだった。

しかしなぜか退職し、東京に出てきてからも呼ばれ続けた。

別に嫌ではなかったので、呼ばれれば参加し続けている。

最初に参加してからもう5,6年になるだろうか。

相手は一番若い人が40代半ばで、あとは60歳前後の孫持ちの爺さんばかりである。

ここまでくれば昔の取引先の人と言うより、歳の離れた友人と言った方がいいかもしれない。

 

なぜ旅行に呼ばれ続けているのかはわからない。

私は自分が一緒にいて楽しいタイプの人間だとは思っていない。

ましてこれだけ歳が離れている。

私は話題の守備範囲は広いので会話は保つが、そういう問題ではないような気もする。

昔、この人たちや他の取引先の人に言われたのは、私と付き合いが続くのは「人間関係の間合いの取り方が上手いから」だそうである。

確かに、変わり者ではあるが、決して邪魔にならないアクのない個性かもしれない。

ちなみに、その頃の職場の事務員さんたちとも、ときどきメールのやり取りをしたり、年賀状のやり取りをしている。

新人として入社して3年間過ごしただけであったが、話に尾ひれが付いて伝説的な活躍をした新人として語り継がれているらしい。

まぁ過去というのは概ね美化されるものである。

 

歳の離れた人と友人のように付き合うことはしばしばある。

老成しているせいかもしれない。

妙に話や気が合うこともある。

私は友人関係は「来る者拒まず、去る者追わず」というスタンスでいる。

縁があって馬が合えば、自然と友人関係は生まれるし、維持に労せずとも勝手に続く。

ダメなときは一度会ってお終いである。

特に人間関係に上下をつけたがる人、自分が有利な立場に立ちたい人は、どうにも食えない私を敬遠するようである。

こちらとて、そんな人とは付き合いたくないので、利害が一致して結構である。

 

そんなスタンスだから、自分から友人になりたいと思って努力したことは過去に一度だけである。

小学校の頃の友人のK君がそうだった。

出会いは小学3年生のクラス替えだった。

K君は明るくて面白く、彼の周りにはいつも人がいるようなタイプだった。

皆が楽しそうに話をしているのを見て、自分も彼と話をしてみたいと思った。

それまでの私の友人といえば、幼稚園で同じクラスだった子とか、同じマンションの子とかばかりで、小学校に入って新しくできた友人はいなかった。

この場合の友人とは、「放課後に学校を出て一緒に遊ぶような相手」というくらいのものである。

わりとシャイだった私は、勇気を振り絞って声をかけたように記憶している。

彼は気さくに応じてくれ、そして思った以上に馬が合い、そこから親友として付き合うことになった。

教室ではいつも一緒だったし、お互いの家を行き来して家族ぐるみでの付き合いもした。

仲が良過ぎて、クラスの女子からホモだと疑われたこともあった。

それくらい何をするにも一緒だったわけである。

 

その友人関係は、2年経ち再びクラス替えが行われ、クラスが別々になってあっさり終わった。

あんなに仲が良かったのは何だったのかと、周りが気を揉むくらいだった。

違うクラスといっても隣のクラスである。

会いに行こうと思えば簡単に会いに行ける。

なぜそうしなかったのか自分でもよくわからない。

K君も同じような感じだったのかもしれない。

仲が良過ぎただけに、久しぶりに話をするときは、どうにも照れ臭いというか、どう接していいかわからなかった。

 

お互いに新しい友人もできていた。

私の方は、新しい友人とはK君ほど仲が良かったわけではないが、それでも特段不満を感じはしなった。

あの時間というのは、もしかしたら特別なものだったのかもしれない。

その後、K君との距離はどんどん開いていった。

私は優等生街道まっしぐらだったし、K君は中学でラグビー部に入り、少々やんちゃな仲間とつるんでいた。

もう2人の道が交わることはなかった。

今も親同士は近所に住んでいるので顔を合わすこともあるようで、K君が結婚したという話は母親から聞いている。

 

実は街で見かけたこともある。

仕事でホームセンターに行ったとき、そこの駐車場でK君らしき人を見た。

同年代のカップル2組で車に乗り込むところだった。

特徴的な顔立ちなのでおそらく間違いない。

あれが奥さんと友人夫婦とかだろうか。

少しだけセンチメンタルな気分になった。

彼が幸せに暮らしていたら、それで十分だなと思った。

 

友情というのは様々な形があるし、続くこともあれば簡単に途切れることもあり、なんとも不思議なものだと思う。

今の私は、「友人」の定義を「気兼ねなく話せる相手」と勝手に考えている。

歳をとると意外と遠慮なくものを言える相手というのは貴重になるもので、私が「知人」ではなく「友人」定義している相手は多くない。

歳をとってから友人ができにくくなったという話を聞くことがあるが、私の場合、そうは感じない。

友人の友人が友人になるようなことが多い。

縁があれば付き合いが続く。

類は友を呼んでいると感じることもある。

人間関係なんてそんなもので、どちらかが無理をしていると長く続かない。

気ままに緩く繋がっていける友人が、そこそこいれば幸せだなと思う。