異呆人

毒にも薬にもならない呟き

アナウンサーという名前は捨てたらいい

実家に帰るときだけテレビを見ている。

朝は毎日家族はめざましテレビを見ていて、じゃんけんに興じている。

私は朝のニュース番組なんてどこの局も大して変わらないと思っている。

家にテレビを置いていたときはNHKを見ていたが、それは余計な情報が少ないからであって、別にNHKのニュース番組が良質だと思っていたわけではない。

ニュース番組は事実の伝達が主目的であり、そこに本来クオリティの差はないはずである。

そこで差がつきにくいため、付加価値を競ってニュース番組がワイドショーのようになっているかもしれない。

まぁ余分だと感じられる情報の中にも、どこでどんな役に立つものが混じっているかはわからない。

摂取できる情報は積極的に取り入れることにしている。

 

それにしても、最近のアナウンサーは酷いなぁと思う。

あんなに噛み噛みでよくアナウンサーが務まる。

見ていて、見ている方が恥ずかしくなりそうである。

民放のアナウンサーも、昔はもっとマシだった気がするのは気のせいだろうか。

皆、美人だとは思う。

それもとびきりの美人ばかりである。

しかしながらアナウンサーは見た目ではない。

アナウンスするのが仕事である。

肝心の仕事が中途半端で顔ばかり売ってるなら、アナウンサーという呼称はやめたらいいと思う。

いっそアイドルという扱いでいいのではないか。

アイドルなら顔が可愛ければ多少の粗相は許せるかもしれない。

 

私は昔から滑舌の良さをよく褒められてきた。

たぶん、小学校の頃に担任の先生から朗読で鍛えられたせいだと思う。

ただ単にはっきりと発音するだけでなく、文章をどこで区切って読むか、どういう風に抑揚をつけるかなど、細かくあれこれ指導された。

これは言われた通りにやってみると、すぐに自分でも違いを実感できて楽しかった。

それがそのまま身についてしまっているようである。

中学でも高校でも大学でも、教科書を読まされたら「上手だから最後まで全部君が読んで」と言われることも多かった。

論文発表など人前で弁舌を打つときも、人を惹きつけるような話し方をしているらしい。

新入社員で入った会社の初期研修でグループディスカッションの成果を発表させられたときも、「どこかでそういうトレーニングを受けてた?」と人事の人に聞かれたりした。

アナウンサーを勧められたこともあるが、自分の中では一度も検討したことがない。

人前で話をすることは気にならないが、目立つのは好きではない。

 

素人が言うのもなんだが、やはりプロなんだから、それも全国区でオンエアされるのだから、そこはプロとしてのプライドを持ってほしいなと思う。

失敗を可愛く笑って許されるのは、子供のときと、遊びでやっているときくらいである。

仕事として金をもらってやるのだから、それなりの結果を出すことは義務である。

 なんだかワイワイキャピキャピやっているのを見ると、「女子大か!」とツッコミたくなる。


余談だが、大学生の頃に一度だけ女子大の学生と交流したことがあった。

教員同士の繋がりがあったようで、仙台の女子大生が実習と旅行を兼ねて来ていた。

暇だろうことを見透かされた私は、その実習のサポートをするように仰せつかった。

男子大学生だから、女子大生と交流できるなら喜ぶだろうと思われたのかもしれない。

あの時は下心はさほどなかったが、暇には違いなかったので、女子大生というのがどういう人種か見に行った。

そしてそこで見たのは、別世界の生物だった。


振ったらキャピキャピと音が鳴りそうなくらいのキラキラしたオーラを放っていた。

服装も、本当に実習を兼ねているのだろうかと疑うくらいの派手さだった。

いくら何でも花柄のワンピースはないだろう。

こちとら地方国立大の実習室である。

華がないどころか、どこに何があるかわからない。

結局手伝うようなこともほとんどなく、私は短時間でその場を去った。

夜は私の先生が相手校の飲み会に呼ばれていたので「君も来るように」と言われていたが、適当な理由をつけて丁重にお断りした。

嫌な予感しかしない。

後日どうだったか先生に聞いてみると、「来なくて良かったね」と言われた。

今で言う「女子会ノリ」が炸裂していて、男の先生は肩身が狭かったようである。

話題もなかなか下卑ていたそうで、「女子大の教員にはなりたくない」とこぼしておられた。


あの液晶の向こう側の女子アナたちも、一皮剥けば同じようなものかもしれない。

玉の輿に乗る方法とか、真剣に語り合っていたりして。