異呆人

毒にも薬にもならない呟き

自分探しとか、自分の居場所とか

「自分探し」とか「自分の居場所」というフレーズを聞くと、いつも不思議に思ってしまう。

自分など探しに行かなくたって一番近くにいるし、自分の居場所は今自分がいる場所、あるいは社会的な立ち位置である。

それらをどこか外部に求めることは、今何かがうまくいかないことの言い訳のような気がする。

どこまで行っても自分に関わることの解決策は、自分の中にしか存在しない。

だから自分自身も自分の居場所も、徹底的に自分と向き合うことでしか得られないと思う。

 

環境を変えることは悪いことではない。

人は内側からの力だけで変わるものではない。

むしろ外部からの刺激によって大きく変わることが多い。

だから旅をしたり、住む所を変えたり、仕事を変えたりすることは効果がある。

ただそれは隠れていた自分を発見する行為でなく、自分自身を新しく変えていく行為である。

それも元の自分が180度変わるのでなく、一部がマイナーチェンジしたり、赤が徐々に紫になって青に移っていくような、微妙で連続した変化である。

だから元々の自分というものを少しも把握せず、何かと出会ったことでまったく新しい自分を見つけた気になることは、砂上に楼閣を建てるようなものではないだろうか。

いずれ自分の弱さが露呈する気がする。

 

自分の居場所というのも同じで、自分というピースがすっぽり嵌るような場所を求めることは、何とも都合が良いように思える。

世の中には嫌な奴はたくさんいるし、嫌な事はたくさんある。

そういったものとぶつかって、擦りむいて、痛い思いや苦しい思いをして、人は成長していくのである。

安易に避けることは個人の成長を妨げ、新しい場所でまた同じことを繰り返すことに繋がる。

環境を変えるばかりでなく、自分というものを変化させて適応させる努力をしないといけない。

そのためにはやはり、自分と向き合って、自分という存在をきちんと掴まえておかなければならない。

 

世の中には理不尽が溢れている。

たまたま運良く楽に生きていける人間もいれば、努力しても苦しみから逃れられない人間もいる。

暴力や精神的苦痛もそこかしこにあり、それらは理由もなく気紛れに襲ってきたりする。

人間性の善悪や優劣は関係ない。

むしろ世の中は真面目な人間ほどバカを見やすい。

だからそんなことを嘆いても仕方ない。

人はそんな世界に無造作に放り込まれて生きている。

 

だからあちこち自分を探し回ったり、自分の居場所を探したりしなくてもいいと思う。

最適な答えが見つかる→一生安泰というわけではないのだから。

現実と向き合って、自分と向き合って、もがいて苦しんで一歩ずつでも前に進むしかない。

フィクションのようなご都合主義には滅多に与れない。

あれはだからフィクションなのである。

そしてフィクションのような成功譚も、滅多に与れないからこそ持て囃されるのである。

 

だがどれだけ自問自答しても自分なりの答えすら見つからなかったり、一向に状況が改善されないなら、逃げたいだけ逃げればいい。

命を失うのでなければ、それ以上に何かを失うことはない。

でも問題が自分の中に隠れているのだとすれば、どこまで逃げたってついてくるものである。

結局は自分自身が変わっていくしかないのだろうなと思う。

本当に自分の中の問題が片付いたときは、きっとどこにいたってその場所がその人の居場所になるはずである。