異呆人

毒にも薬にもならない呟き

便所スリッパと固定観念と常識

人間の先入観というのは強烈である。

一度作り上げられた思い込みは、なかなか修正が効かない。

しかもその先入観の正しさを肯定したがるので、それが正しいと思えるように自分の意識を持っていく。

たとえそれが思い込みと指摘されても、聞き分けのない子供のようなことを言うことがある。

「でも」、「だって」と言い訳を重ねたりする。

私にも多分にそのようなところがあるので、普段から反省することが多い。

先入観というのは人間の行動を効率化するためのものであるから必要ではあるが、やはり物事はできるだけまっさらな視点で見つめたいものだ。

 

同じことだが固定観念もよろしくない。

「これはこうである」と決めてかかると柔軟な発想が失われる。

イノベーションというのはコペルニクス的転回というか、発想の転換でもってなされることが多い。

そしてそういう新しい発想というのは、往々にして既存の価値観を否定するものだったりする。

そうすると保守的な人間は、「今までこうだったんだからこれでいいんだ」というように思考停止して我が身を守ろうとする。

失敗してもいいから新しいことを試すというのは大切である。

間違っていたら修正すればいい。

間違うことそのものが恥と言われるような世の中では、新しい発想は生まれない。

 

私自身がどちらかというと頭の固い人間で、柔軟な発想というものから程遠い位置にいつもいる。

突飛な発想というのはよくやらかすのだが、人々が目を丸くして「それはいいね!」と言ってくれるようなアイデアは思いつかない。

劇薬のような、「それはさすがにちょっと。。。」と言われるようなことを思いつく。

だから発想の柔軟な人に憧れる。

できれば世の中にまったく新しいものを提供するような、そんな仕事がしてみたいと思う。

残念ながら私はどちらかといえば実務型の人間なので、仕事の早さと正確さは抜きん出ていても、そういうクリエイティブなこととは無縁である。

安打と盗塁は量産できても、一発逆転のホームランは望めないタイプである。

 

学生の頃、いわゆる便所スリッパと言われるものを履いて大学に通ったり、生活していたことがあった。

あの、茶色やブルーやピンクの色をした、小中学校のトイレでよく見かけたりする、ゴムだかプラスチックだかわからないサンダルである。

ビーチサンダルなどと違って適度な重さがあり、雨の日でも滑りにくい。

足裏が当たる部分にイボが付いていて、多少ツボを刺激できるようになっている。

商品名としては「健康サンダル」と言われている。

耐久性も高く、履きやすいし、コストパフォーマンスも良い。

 

それを履いて歩くと、周囲の人間から「どうしたんですか、そんな便所スリッパを履いて。。。」と、当然のように言われる。

私はそれに対して、「君はこれを『便所スリッパ』と言ったが、正式な商品名は『健康サンダル』だ。確かによく便所で見かけるサンダルではあるが、便所で履くものとは決まっていない。君は悪しき固定観念に支配されている。もう少し柔軟な発想を心掛けなさい」と説いていた。

そう、先入観や固定観念があるからその『健康サンダル』が『便所スリッパ』に見えるのである。

まっさらな視点で眺めると、そのシンプルなデザインの良さや、圧倒的な機能性が理解できるはずなのである。

そんな風に人々が固定観念を打ち破れるよう啓蒙して回っていたのだが、あまり反応は芳しくなかった。

まるで頭のおかしい人をいるような目で見られたりした。

 

常識というものも固定観念になり得る。

誰かに迷惑をかけたり不快な思いをさせるのでなければ、もっと大目に見ていいのではないかと思う。

「皆がそうしているから」というように思考停止してしまうと、その行為や発想が持つ本来の意味すら失われてしまう。

時代が移り変わって形骸化してしまているものは、早々に捨て去ってしまえばいいのである。

 

ちなみに私は常識もかなり怪しいところがある。

新卒で入った最初の会社の入社式には、時計は真っ赤なセイコーのスーパーランナーズをつけ、靴下はくるぶしソックスを履いて参上した。

一般的な社会人像からは大きくかけ離れている。

そしてその格好で新入社員代表で何やら読み上げさせられたのだから、我ながらなかなかのアホっぷりだったと思う。

まぁそんな人間でも何の大過もなく生きていけるのである。

何事もあまり肩肘張らず、もっと自由に思考し、試行していける世の中になればいいと思う。