異呆人

毒にも薬にもならない呟き

一流と二流

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あまりやらないのだが、読んで面白かったので引っ張ってみた。

 

物事の一流と二流の区別というのは難しい。

誰もがパッと見てわかる一流もあれば、ある程度その道に通じないとわからない一流もある。

私はあまり物事を評価するときに一流とか二流という言葉は使わない。

自虐的に「三流」を自称することはある。

仕事に関してで言えば、良い仕事に対しては「プロフェッショナル」という言葉を使うことが多い。

これは純粋にその仕事に対する評価である。

誰にでもできることではない、その道に通じた人、あるいはその人にしかできないことだ、という評価である。

私は野球で言えばイチロー、将棋で言えば羽生王座がプロの中のプロだと思う。

まぁさすがにそこまで行けば次元が違うが。

 

さて、この記事においては何を持って一流の仕事人としているかというと、年収だとか資産だとか稼ぎでもって判断しているようである。

出てくる例が、「年収数億円の先輩」とか「ウォーレン・バフェット」であることからも、そう推測される。

仕事は金を儲けるためにするものではあるし、仕事の結果は金で還元されるわけだから、その基準はあながち間違っていないと思う。

でもそれをもって「一流」の判断にしてしまうことは、高級な腕時計や自動車を見せびらかす人間と対して変わらない価値観ではないかと思う。

そんなことを大っぴらに文章にしてしまうことで、自分が批判する人間たちと同類であることを露呈してしまっている気がする。

仕事の「一流」で言えば、「一流のホテルマン」もいるだろうし、「一流のOL」もいるだろうし、「一流のタクシードライバー」もいると思う。

中には収入の少ない人もいると思う。

だがプライドを持ってなされる「一流」の仕事に、稼ぎの多少は関係ないのではないだろうか。

 

あと、ロレックスは間違いなく一流の腕時計メーカーである。

一流であるがゆえに高額で、成金の象徴のように見られることも多いが、それだけをもって批判されると時計好きが泣く。

まぁ職場につけてくることの是非は多少あるかと思うが、好きなんだったら堂々とつけたら良いと思う。

それこそ、この記事の筆者が主張する「自分なりの哲学・信念」であり、「主体的な価値判断」である。

レックスをつけてくるいけ好かない奴がいるとすれば、それは「ロレックスをつけてくるからいけ好かない」のではなく、「いけ好かない奴がロレックスをつけている」だけである。

そういう阿呆は結構たくさんいるのだが、そんな奴は持ち物を見るまでもなく人間として二流であるとわかる。

それでも「ロレックス=金持ち」とみなして嫌悪するような人間がいるなら、それは器が小さいだけなので相手にしなくていい。

あまり高級だとかなんだとかだけで嫌悪するのもどうかと思う。

ただ高額なだけのものもあるが、物が良いから高いものだってたくさんある。

仕事の「一流」とは関係ないが、ものの価値がわかることも大切である。

 

それから、この記事の筆者のような仕事なら関係ないのかもしれないが、人と相対する仕事であれば、装備がそれなりでないとナメられることがある。

特にそれなりの年齢だったり、それなりに金を持っている人間には、一定数そういう人がいる。

「持ち物で人間を判断する奴は相手にしなくていい」という殿様商売ができればいいのだろうが、世の中の大抵のサラリーマンはそういう立場にない。

そういう輩も相手にしなければいけないのが仕事である。

別に「高級」である必要はないが、それなりの装備をしていく方が商談で信頼を得られることはある。

もう少し若い頃、ただでさえ若いだけでナメられたのに、持ち物でナメられることも結構あった。

人の第一印象というか先入観は、一度固定されてしまうと挽回が難しい。

仕事ぶりで後から挽回できる類の仕事であればいいが、短期決戦でそのまま商談が流れて歯噛みする思いを味わうこともある。

私は派手なものが嫌いなのだが、「よく見たら」とか「わかる人はわかる」程度の装備をするように心掛けている。

相手の土俵で戦うときには、それなりの戦術が必要になることもある。

 

ちなみにこの記事の4つの主張自体は、いたってまともで共感できるものである。

ただ挙げている具体的な話が残念だと思う。

浅い。

定性的なだけならともかく、たぶんに主観的でそこから一般性を見出すことは難しいのではないかと感じる。

この記事の筆者の著書等で、せめて「一流の仕事人とは何か?」ということに触れられていることを望む。

個人的には仕事がプロフェッショナルであることも大切だが、人間として芯とか品とか徳とかがあることの方が余程大切だと思う。

あえて「一流」という言葉を使うなら、「一流の人間性」を身につけられるように努力したいものである。