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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

弱肉強食の世界

随想

「所詮この世は弱肉強食」

るろうに剣心の志々雄真実が放ったセリフである。

ヒールのかっこよさを存分に表すセリフで結構好きだ。

志々雄真実のような悪役が言うと悪の理屈のように思えてしまうが、弱肉強食自体は悪の論理ではなく世界の摂理である。

世界はすべて弱肉強食で、弱いものは淘汰され、強いものが生き残る。

それは力の強い弱いだけではない。

じゃんけんのような相性もあれば、環境への適応性能もある。

いずれにしろ、強い、あるいは優れているから生き残るのである。

弱いものを守るような理屈も、結局は守ることが強い者にとってプラスに働からまかり通るのである。

 

相模原の障害者施設での大量殺人もそうだが、いじめ、あるいは集団暴行のニュースが続いている。

自殺に関しては極端な話、私は好きにすればいいと思っているところがあるが、殺人はよろしくない。

生き死にを選ぶ権利は当人にある。

勝手に奪っていいものではない。

例えば私は死に対してそれほど否定的ではないが、誰もがそういう価値観を持っているわけではない。

少しでも長く生きていたいという人は多い。

そう願う人がいたなら、その願いは可能な限り尊重されるべきである。

 

しかし例えば相模原の事件に関して、理屈で持って抗弁できる人はどれほどいるだろう。

障害にも程度や種類がたくさんあるが、おしなべて生産性が低いことは否定できない。

あの加害者のように、「障害者は世の中の役に立たないし、無駄に税金ばかり食う」と主張する者がいた場合、どれほど納得のいく反論ができるだろうか。

その障害者にも家族がおり、その家族が当人を大切に思っているというのはわかる。

では、施設に預けて税金の恩恵を受けずに、自分たちで面倒を見ればいいという意見もわかる。

自分たちですべて面倒を見るのは現実的に大変だというのもわかる。

それは結局はいろんな考え方があるうちのどちら側に立つかというだけの違いで、どれかが絶対的に正しいという真理ではない。

どの意見もエゴイスティックである。

 

例えば障害者の命も健常者の命も等しく尊いというのなら、命はどこまで平等なのだろうか。

私たち人間は、蚊だってゴキブリだって叩き潰す。

肉や魚を食い、植物を食う。

卵や牛乳などの生物から搾取したもので栄養を摂取する。

食うだけでなく、動物の皮を剥いだり毛を毟ったりして日用品を作る。

食物が必要なものだというなら、どこまでが必要な搾取される命で、どこまでが不要に搾取している命だろう。

奪っていい命などないと言いながら、私たちは数え切れない命の犠牲の上に生きているのである。

人間とその他の動物の命と重みが違うというなら、それはどこがどう違うのだろう。

それは人間様から見た都合で、偏った考え方である。

こう考えることは詭弁ではなく、正常に突き詰めていくとそういう議論に発展する。

そんなことも考えずに命の大切さを主張する人がいるなら、浅はかと言われても仕方ない。

 

所詮この世は弱肉強食なのである。

私たちは弱い命を貪って生きている。

人が人を殺してはいけないのは、それが法律で犯罪とされているからである。

たとえあの相模原の加害者の理屈が正しくとも、手段として殺人を選ぶことは許されない。

社会の秩序を守るとか大仰なものではなく、それは自分たちの命を守るための防衛線である。

それを超えるものは社会から、人の手によって罰せられる。

そうして違反者を排除することで、私たちは自分の命を守るのである。

だから何度もこのブログで主張しているが、その一線を超えてしまう者がいることに対して、私たちはどうすることもできない。

法律は事後に罰するための制度であり、罰を持って罪を牽制するものである。

罰を恐れず罪を犯すものに牽制は効かないし、そんな悪意から身を守る術はない。

 

いじめも同じである。

止める術はない。

それはいじめをしていいと言っているわけではない。

人間の性質からしてなくならないと言っているだけである。

私たちは弱い者を見下し、自分の優位性を確認することで生きているのである。

少しでも優位な立場に立つことで、より楽に生きようとするのである。

何もそれは命のかかる話だけではない。

私たちは常に競争にさらされて生きている。

生き残るには勝つしかない。

誰かが勝てば誰かが負ける。

ビジネスも皆同じである。

儲かっている会社の陰では、淘汰されて潰れていく会社がある。

競争を排し、誰もが等しく生きていけることを夢見た共産主義は、どれほどの失敗に終わったか言うまでもない。

競争が人間社会を発展に導いてきた。

その負の側面として、虐げられる者が出続ける。

いじめはその縮図である。

子供は純粋な分だけ歯止めが効かない。

逆に言えば、その純粋さが人間の、あるいは動物の本性なのである。

 

どうにも私は一面的な意見が苦手なのだ。

それは当事者からすればのっぴきならない理屈でも、もっと広く深く考えていけばいろんな考え方があるのである。

自分の意見を、それが個人的なエゴだと分かった上で主張するならともかく、それが万人にとって正しい真理であるかのように言う人がいることが気になる。

どんなに綺麗事を並べたって、人間は1人1人がどうしようもなく我儘なのだ。

それを交通整理するためにルールがある。

ルールはそれそのものが正しいのでなく、「そう決まっているから、そうしなければなりません」というだけのものである。

感情的な意見を目にしたり耳にするにつけ、同じくらい感情的にこんなことを考えてしまう。