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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

地震の思い出

今週のお題防災の日


日本に住む以上、地震は避けて通れない天災と言える。

天変地異というような異常事態ではなく、それは日常の延長と言っていい。

東日本大震災のように大きな地震が多くの命を奪う異常事態であることは言うまでもないが、体感する揺れを年に何度も経験することは、それがあることが当たり前、つまり日常だと言える。

もっと言うと、人の死だって日常なのではある。

どんな形で訪れるかが違うだけで、死は平穏な日常の隣にぽっかり口を開けて待っている。

天災はそのことを思い知らされる事象の1つである。

だから、ふらっとそいつがやって来るたびに思い出すのでなく、私たちはそれを常に隣に置いておかなくてはいけない。


私が地震を強く意識したことは2度ある。

1つは阪神大震災である。

まだ小学生だった私は、それを大阪で体験した。

大阪の震度はせいぜい3程度だったが、未明にやってきた揺れがただならぬ大きさだとは思った。

今思えば揺れが大きく感じられたのは、実家がマンションの上層階だったせいかもしれない。

揺れに目覚め、布団を被って丸まった。

そばの勉強机の棚から重たい国語辞典が落ちてきて、身体に当たって痛かった。

揺れはしばらくすると収まった。


リビングに出ると、両親もすでに起きていた。

食器がいくつか割れた程度で、大きな被害はなかった。

テレビをつけると、壊滅した神戸の街が映し出されていた。

阪神高速が薙ぎ倒され、住宅街のあちこちから火の手が上がっていた。

幼心にも戦慄した。

遠い外国で行われている戦争とは違う。

見知った隣の県の惨状なのである。


学校はもちろん休校だった。

その後、授業が再開してしばらくすると、そのときの地震の体験を作文に書かされた。

安易な考えだったのか、深い思慮があったのかわからない。

今やったら、保護者からクレームが来そうだなと思う。

神戸からの転校生もいた。

彼は地震の話をしなかったし、周りが聞いているのも見たことがない。

私はどこから転校してきたか聞いたときに、「神戸」とだけ聞いて、それ以上質問することをやめた。

聞いてはいけないことを聞いた気がした。


もう1つは、東日本大震災である。

当時私は仕事で新潟勤務だった。

その日はいつもと同じように、車で外回りをしていた。

地震が起こったときは、運転中で気づかなかった。

ただ、周りの建物から次々と人が出てきたので、地震があったこと、それが比較的大きな揺れだったことは推測できた。

車中でラジオを聞かないし、スマホではなかったので事の大きさを知る機会はなく、私はそのまま外回りを続けた。

夕方、取引先に入ったときに初めて映像で惨状を見た。

濁流に建物が呑まれている様子が映し出されており、川が氾濫したのかと思ったら津波だと聞いて驚いた。

「これはヤバい」と思って、慌てて会社に戻った。


当時の勤め先にも、東北の営業所や工場はいくつかあった。

新潟の所長2人が食料とガソリンを持って駆けつけると言う。

私も食料集めを手伝った。

食料集めは意外と苦戦した。

同じように物資を届けるつもりか買い溜めかわからないが、おにぎりや水などは売り切れている店がたくさんあった。

何とかかき集めた物資は、車で無事届けられたらしい。

当時の会社の従業員等に、犠牲者は出なかったと聞いている。


東海や南海の地震も、近い将来に発生することが予想されている。

避難経路の確認や備蓄品の準備、家具の転倒対策など、私たちが普段からできることはいくつかある。

しかし大地震が起こったとき、被害を根本的に防ぐ方法はない。

甚大な被害は出る。

すべてを予測することもできない。

予想外のことは、どんなときでも起こり得る。

東日本大震災で起こった10m超の津波を予想しろなんていうのは、あれだけの事態が生じたから言えることである。

もし東日本大震災の前に10m超の津波の可能性を指摘した人がいても、「馬鹿げている」と鼻で笑われたのではないだろうか。


自分の命も、それ以外のあらゆるものも、すべてはいつか失われるものである。

天災を引き受けることもまた、生きることの宿命のようなものだと思う。