異呆人

毒にも薬にもならない呟き

先の先を読む思考力、後の先を取る行動力

その昔、とてもつらいことがあったとき、どうすればそんな精神的なダメージを受けずに済むか考えた。

考えた結果、ダメージを受けることは避けられないという結論に達した。

どれだけつらいことが起こらないように立ち回っても、そんなもの起きるときは起きる。

理不尽で無情なのが世の中である。

では、せめて大ダメージを受けることだけでも避けられないだろうか。

そう考えた。

人はどんなときに精神的大ダメージを受けて打ちのめされるのだろう。

私は、それは予想外のことが起こったときだと考えた。

人は普段、身構える、防御することで心の負担を和らげる。

ダメージを受けることは避けられないが、防御することでそれを最小限に抑えることはできる。

柔道の受け身、ボクシングのガードのようなものである。

ノーガードのところに強烈なパンチを受けると、ダメージの大きさだけでなく、予測していなかったことそのものに狼狽することになる。

 

だからダウンを喫するような事態を避ける、いつでもファイティングポーズが取れる強さを持った人間になるには、起こりうる事態を丁寧に予測する、先の先を読む思考力が必要だと考えた。

あらゆる可能性を洗い出し、細部まで徹底して考える。

私なぞは「お前みたいに物事を裏の裏まで考える人間はいない。人間はもっと単純だ」と言われるほどである。

穿ち過ぎだと言われるほど、疑い深いというか深読みしようとする。

それは私が痛みに敏感で、自己防衛を図るからである。

「先の先を読む思考力」というのが、私の中の標語の1つのようになっている。

 

ただどんなに考えても、予想外のことは当然ながら起こり得る。

だから考えるだけではなく、予想外のことが起きたときに上手く対応する力も必要である。

それは火が上がったならできるだけ迅速に鎮火するのと同じで、早ければ早いほど良い。

私はそれを「後の先を取る行動力」だと考えている。

素早く対応することで精神的なダメージを最小限に抑える。

そして実際に素早く対応できたなら、その事実が自信になり「予想外のことが起こっても大丈夫」だと考えられるようになる。

その自信は不測の事態が起きたときの冷静さを担保してくれる。

 

行動力が鍛えられると他にもメリットがある。

事態をギリギリまで見定めることができるようになる。

素早く対応することは大切だが、それが早まった行動となることもある。

素早く行動する自信があれば、冷静にタイミングが来るまで待つこともできる。

野球のバッティングと同じである。

バットのヘッドスピードが速ければ、ボールをギリギリまで引きつけて見ることができる。

そうすることでいろんな球に対応できるようになる。

待つことは胆力を養うことにも繋がる。

 

高校生くらいのときは頭でっかちだった。

こんな詮無いことを考えてばかりで理屈っぽく、それは正論だったり論理的ではあっても、現実と乖離していたりもした。

それではいけないと思って、大学生の頃はとにかく行動した。

実家を遠く離れて一人暮らしをし、世間や生活というものにできるだけ直に触れようとした。

どんな些細で身近なことでも、実際に自分でやってみないとわからないことがある。

理屈だけでなく、行動による経験の積み重ねで、自分の考えを補強していこうとした。

とにかく強い人間になりたかった。

何のためだったのかも、何に勝ちたかったのかもわからない。

ただ怖かっただけのような気がする。

 

その試みはもうとっくに完遂していて、今の私は昔の私がなりたかったものと言える。

こんなはずじゃなかったとも思わないし、さりとてこれで満足とも思わない。

きっと私はなるべくしてこうなったし、それは私の人生そのもので、永劫回帰のように何度繰り返しても同じ道を辿るような気がする。

今、もし私が少しでも強くなれているなら、それはもう身近な誰かのために使える力であればいいと思う。

 

結局私が必死に守ろうとした私自身は、守るほどのものでもなかった。

守りたいものはないし、勝ち得たいものはないけれど、誰かが何かを欲したとき、それが私の中で正しいと思えるなら、それを助ける力になれたらいいなと思う。

もし私が結婚して、それで嫁になる人が幸せならそれで十分である。

人一人の人生で、一人分幸せにできたら十分だなと思う。