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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

民主主義と政治の皮肉

リオオリンピックが終わり、次回4年後の開催はついに東京となった。

2020年なんてまだまだ先だと思っていたが、そうでもないようだ。

この分だと、あっという間に東京オリンピックを迎えている気がする。

オリンピックの閉会式には安倍首相が出席し、党則を変えて任期を延長し、東京オリンピックまで自民党総裁を続ける意欲の表れと受け取る人もいる。

4年後まで自民党が政権与党である保証も、安倍さんが自民党総裁に選ばれる保証もないが、実現すればいわゆるレガシーにはなるのかもしれない。

それにどれほど意味があるか知らないが。

ちなみにマリオの格好をする演出は、個人的には不要だったと思う。

袴でも履いた方がまだ良い。


新しい東京都知事の小池さんも、今回のオリンピックの閉会式に駆けつけた。

こちらも任期はオリンピックの直前までで、再選しない限り東京オリンピックを都知事として迎えるわけではない。

もちろんこれから準備の指揮を執るのは都知事である。

だが、どうせなら準備だけでなく、オリンピックの開催まで都知事でいたいというのが本音だろう。

だから、それまでに足場固めが必要だと考えるのは当然である。


小池さんが都知事になってから、「小池新党」を立ち上げるのではないかという憶測も出ている。

小池さんも否定せず、牽制球を投げた格好である。

新党といっても自民党と対決する力はないだろうから、外に出て自民党に協力することで、一定の影響力を握るやり方が考えられる。

政権まで伺わなければ、仰る通り「1つの選択肢」かもしれない。


小池さんが例えば安倍さんや元大阪市長の橋下さんと違うのは、明確なポリシーがないことである。

安倍さんであればタカ派で、悲願は憲法改正である。

橋下さんは大阪を活性化したいという思いが強く、だから大阪で旗揚げしたし、国政もあくまで大阪都構想実現のために一定の影響力を持つ、という目的があった。

小池さんにはそういった強い主義主張はない。

だからこそ「政界の渡り鳥」ができたのだろう。

それが別に悪いとは思わない。


民主主義の最たる特徴は、数を力にするところだと私は思う。

数が多い方が強いという、シンプルにして強力な原理である。

これは当然と言えば当然だし、強力だから民主主義では併せて少数意見の尊重が叫ばれる。

まぁ尊重するのと実現させるのは違うので、現実には「貴重なご意見として伺っておきます」で済まされることも多い。

さておき、先日の都知事選では小池さんは見事に数を力にできたわけである。

「女性」、「反組織」といったフレーズを武器に、無党派層から自民党支持層まで多くの民意を味方につけた。


それは東京だったからできた勝ち方である。

無党派層が多く保守層が少ない。

組織の力は絶対でなく、知名度がないと勝てない。

ふわふわ漂う雲のような民意で、時流という風で簡単に流される。

小池さんの味方はそういう人たちである。

ポリシーがあれば一定の支持は志を同じくする人から得られる。

小さなお山の大将ではなく、もっと大きな枠の中で主流となれるかは、そういったところの違いが大きく出ると思う。


逆に言えば、いわゆる既成の政治の改革は、それだけ難しいということである。

特に日本人は余程追い込まれない限り、「これまで通りでいい」という選択をしがちである。

地道にポリシーを浸透させて、それが当たり前にならないと受け入れてもらえない。

数を頼みにする民主主義は、数に阻まれることも意味する。

既得権益は減らないし、痛みを伴う増税などは度々後回しにされる。


私が政治をあまり好きになれないのは、もしかしたらそういった民主主義の性質によるのかもしれない。

何かを実行するには主流にならなければならず、主流に組みすれば自らの大義を失う。

そうすると結局政治家になるのは、手っ取り早く数の力を味方にできる有名人や、数の力を引き継いで「強くてニューゲーム」ができる2世議員ばかり、ということになる。

そういう人たちが政治を変えられるとは思えない。

既得権益を破壊して改革する側の人間が、既得権益を得ている人間だからである。

皮肉だ。

小泉進次郎氏あたりは、2世ながらに奮闘している。

どこまで自民党色に染まり切らずに戦えるか、生温かく見守りたい。