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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

オリンピックアスリートよ、個人主義であれ

オリンピックが閉会した。

我が家にはテレビがないので、競技は1つも視聴していない。

新聞で結果を読むだけである。

ただスポーツだけは新聞で結果を見ても面白くない。

できれば動画で観戦したい。

その気になればスマホYoutubeでも漁ればいいわけだが、なぜかこのオリンピック期間は通信容量がカツカツで、通常使用にも支障が出るくらいだった。

プロ野球くらいなら新聞で結果を見るくらいでも構わないが、オリンピックアスリートの渾身のパフォーマンスは、ペナントレースという長い道のりを戦うプロ野球選手のそれとは別物である。

 

メダルを取れた種目、取れなかった種目、いろいろある。

期待通りの結果、期待を裏切った結果、期待以上の結果、それも様々である。

私は陸上競技を長く続けてきた身であるので、やはり男子4x100mリレーの銀メダルには感動した。

陸上競技の短距離種目で日本人が勝つことの難しさは、未だ10秒の壁を越えられず、今回のオリンピックで誰1人決勝に進めなかったことから明らかである。

にも関わらず、ジャマイカに次いで、アメリカを抑えて2着という結果は素晴らしいの一言。

他国がリレーに力を入れていないという現状があるにせよ、日本のチームワークと実力の勝利を誇っていいと思う。

 

期待を裏切ってしまったアスリート、振るわなかった競技に対する辛口の批評を時々見かける。

評論家や過去の英雄や、わけ知り顔の一般市民まで、批評する側はいろいろである。

まあ日本では言論の自由は保証されているし、国から強化費をもらっているアスリートなら国民の税金が使われているわけである。

一言物申すくらいの権利はあるかもしれない。

しかしながら、もし自分がオリンピックアスリートであったなら、外野からあれこれ言われるのは苦痛だろう。

少なくとも一般人にはできない努力をしてきているはずである。

過去の英雄と比べるのも無駄な話で、時代とともに競技環境やレベルなど全く変わってしまうものである。

試合における「あの時ああすれば良かった」を本人が述懐するならともかく、外野が言ったって仕方ない。

それは物理的、理論的な可能性であり、実際にその場その瞬間で競技をしてみたら同じことが言えるだろうかと思う。

 

そもそもオリンピックアスリートは誰のために戦うのだろうか。

私はオリンピックは基本的にアマチュアスポーツの祭典だと思っている。

だからサッカーはフル代表ではないし、野球が種目としてあった頃も長らくプロの参加は見送られてきた。

プロであればチーム、あるいはスポンサーのために戦えばいい。

スポンサーが勝つことを求めるなら、勝って結果で報いるまでである。

プロゴルファーなら、スポンサーの冠付きの大会に挑む覚悟は、他の大会のそれとは違う。

彼らは結果を出し続けることで飯を食う存在である。

スポンサーは勝った彼らがメディアに露出することで広告代わりにしたり、あるいは彼らのパフォーマンスそのもの、彼らそのものを売り物にして金を稼ぐ。

 

日本の多くのアマチュアアスリート、つまりオリンピックに出るようなアスリートは、ほとんどが実業団の所属である。

彼らは会社の社員である。

勝った負けたで給料が変わったりはしない。

もちろん普通の社員と同じように働いているわけではないので、雇う企業の側は広告としての効果を期待している。

勝ってくれれば嬉しいだろうし、アスリートも勝つために努力はするだろうが、プロとは似ているようで温度感が全く違う。

陸上競技で言えば、400mハードルの為末大選手やマラソンの高橋尚子選手が一時期プロとして活動していた。

「自由に活動できるが、身分の不安定さ、生活への不安は段違い」と、両者ともメディアにおいて語っていたように思う。

 

会社に雇われながら競技を続けているアマチュアアスリートがオリンピックに出るとなると、それは誰の功績であり、オリンピックでの結果は誰にコミットするべきなのだろうか。

功績という点で言えば、彼らは個人のパフォーマンスを評価されているわけだから、自分の実力で国の代表の座を射止めているわけである。

自分の実力だと胸を張ればいいと思う。

そして自分の実力で参加する大会なのだから、自分のために戦えばいいと思う。

国の代表であるから、お国のために戦うという発想もある。

ロシアや中国や北朝鮮などの(準)社会主義国家では、今でもそういう側面が強い。

私はどうもそういうナショナリズムが好きになれない。

オリンピックは枠組みが必要だから国家単位で出場枠を絞っているだけであって、もっと個人の努力とパフォーマンスに焦点を当てるべきだと考えられないだろうか。

オリンピック自体が政治色のあるものなので、どうしても国対国というフレームができてしまうことは仕方ないのかもしれないが。

 

私は別に左寄りの人間ではない。

でも「日の丸を背負って」とかいう言葉を聞くと、どうもしっくりこないなと思う。

例えば、マラソンの日本代表は最近は世界でまったく勝負できていない。

それでも代表として選ばれる彼らが、日本で1番速い奴らであることは間違いないのだ。

それをして不甲斐ないなどと、どの口が言うのだろうか。

彼らは日本のために戦っているのではない。

彼ら自身の競技人生における一つの集大成として、オリンピックという舞台で戦うのである。

そう思って応援してあげられないだろうか。

女子レスリングの吉田選手にしても不憫だなと思う。

吉田選手以上の選手がいないからには、「残念だったが、よく頑張った」がすべてだろう。

 

勝負の世界は結果がすべてである。

敗因の分析は次に活かすために大切だが、勝った者が強かっただけである。

一瞬の油断も隙も気の持ち方もあろうが、それも含めた全てが実力である。

そして実力1番の人間としてその国で選ばれたのだから、オリンピックアスリートは自身の勝利のために胸を張って戦えばいい。

競技によっては、それが世界で1番2番を争う戦いにはならないかもしれない。

しかし自分自身の目標に向かって戦うのも、スポーツの本来の姿だと思う。