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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

落し物の見つかる社会

随想

先日、花火大会の会場でクレジットカードを落とした。

suicaの機能が付いており、私は普段はsuicaは使わないのだが、たまたま道中使用したので財布から出してスマホと一緒にポケットに入れていた。

そしてどうもスマホを取り出したときに落としてしまったらしい。

予想がつきそうなものなのに、浅慮であった。

しかし私は落し物や忘れ物の多いネジの外れた人間なので、そういった事態には自慢ではないが慣れている。

すぐにカードを止めて再発行の手続きを行い、大きな問題にはならなかった。

 

クレジットカードを悪用されるとは思わなかったが、人の多い花火大会の会場だったし、ゴミと一緒に捨てられるだろうと思っていた。

しかし数日後、クレジットカード会社から郵送で案内が来た。

近くの警察署に拾得物として届けられたようなので連絡してほしいという内容だった。

もちろん機能は停止している。

取りに行く意味はないが、不要な場合でも連絡するようにとあったので、とりあえず電話した。

結果的に、警察で自発的に処分することはできないが、期限を過ぎると自動的に処分されるのでそれまで預かるということだった。

 

先にも書いたが、私はたまさか落し物や忘れ物をする人間である。

最初は学生のときだった。

原付バイクに乗っている最中に、ポケットから財布が落ちたらしかった。

一人暮らしの学生である。

財布がないと金がないし、銀行から引き出すこともできない。

いくらか家に残っていたので、それで食いつないで、慌ててすべてのカードを再発行した。

一番厄介だったのは、免許証の再発行だったことを覚えている。

なんせ免許センターに行くのに車が必要な地域だった。

開き直って、トレーニング代わりに往復5時間歩いた思い出がある。

 

その財布はしばらくして警察に拾得物として届けられていた。

カードの類は無事だったが、3万円ほど入っていた現金はなくなっていた。

まぁそんなものだろう。

すべて再発行が済んでいたので、取りに行く意味すらなかった。

財布自体も雨風にさらされて使い物にならなかった。

 

他にも会社の近くのコンビニで財布を落としたり、出張中に電車の網棚に仕事の鞄を忘れたり、今の家に引っ越すときに手持ちしたパソコンの入った鞄を電車に忘れたりしている。

出張中のときは荷物が多く、鞄が1つ足りないことに、電車を降りてから気づいた。

運悪く社長と上司が一緒だったので、しこたま怒られたことを覚えている。

一番最近では、彼女の実家に挨拶に行くとき、手土産を電車の網棚に置き忘れた。

のっけからとんだ失敗をかましている。

唯一見つからなかったのは、この手土産だけである。

中身はお義父さんが喜ぶようにと、酒のアテになるような魚介類を煮しめたものが入っていた。

 

逆に言うと、それ以外の落し物はすべて手元に戻っている。

私の場合、忘れたことに気付くのが早く、初動対応が早いこともあるかもしれない。

しかしこれが海外だったらどうだろう。

持ち主不明の荷物があれば、喜んでかっさらわれるかもしれない。

落し物が落し物として警察等に届けられる日本という社会は、とても平和で豊かであると言える。

オリンピックの開催されているリオでは、窃盗や強盗が絶えないらしい。

警官が金を要求するという話も耳にする。

まったくもって安心できない、そんな社会もあるのだ。

 

震災などのときも、そういった日本人の善良さというか、秩序正しさを称賛する声があった。

確かに諸外国と比較して、日本人は善良かどうかはともかく真面目であると言えると思う。

しかし少し意地悪な言い方をすれば、それはムラ社会の名残なのではないかと思う。

つまり人の目を気にする社会であり、村八分を極端に恐れる社会である。

「後ろ指をさされる」、「お天道様が見ている」というフレーズは、とても日本人らしい言い回しである。

誰かが見ているかもしれない。

その見えない視線が人々を秩序立てる。

五人組という相互監視の制度があった時代もある。

いわばそんな歴史の名残である。

 

ともあれ、落し物が見つかることは良いことである。

それがどんな心理に起因するにしろ、美徳であるなら続く方が良い。

しかし日本も格差が叫ばれるようになってきているし、外国人労働者も増えてきている。

平和で秩序立った社会はいつまで続くだろうか。

偏ったナショナリズムに走らず、寛容さでもって新しい秩序が作られれば良いなと思う。

ナショナリズムの塊であるオリンピックの結果を見ながら、それでも日本人が勝つと嬉しいという事実に複雑な気分になりながら、そんなことを考えた。