異呆人

毒にも薬にもならない呟き

コンドームの悩みと人類の進化

私が童貞を捨てたのは、中洲のソープランドだった。

特に理由はなかった。

たまたま仕事で福岡に行く機会があって、それがサービスの半日休日出勤で空き時間が長いので、「そうだ中洲に行こう」くらいの軽さで前日の夜に思い立った。

もう20代後半だった。

いい加減、1度くらいは経験しておくべきだよなと思ったというのもある。

そこにロマンはない。


早朝に中洲に行き、ポン引きの兄ちゃんが立ち始める前に、適当に店に入った。

相手はそこそこ歳を重ねたベテランだった。

みずみずしさは遠に失われていたが、テクニックはなかなかだったと思う。

やたらと黒夢清春に似ていると言われた。

全然嬉しくなかった。

彼女は私が童貞だとは思わなかったようで、「彼女がいるのに満足できずに遊びに来ている男」という勝手な設定をされていた。

その辺りはめんどくさかったので、適当に合わせていた。


彼女は私のものが大きいと言った。

私は自分のもののサイズなんて気にしなかったし、そもそも比べたりしないからわからない。

「誰にでもそんなこと言ってるんじゃないの?」と言ったら、「私は毎日飽きるほど見てるの。私が言うんだから間違いないの」と怒られた。

そして彼女がコンドームを付けてくれるとき、それを探しながら「Lサイズはないかな」と言った。

「コンドームにサイズなんてあるの?」と私が言ったら、「あるよ。知らなかったの?」と言われた。

童貞の私は、コンドームなんて所詮ゴムだからフリーサイズだと思っていた。

それが初めてコンドームにサイズがあると知った瞬間だった。

ちなみにそのときは普通サイズでも問題なかった。


そういう性行為にまつわるリアルな話を、友人などの周りの人間とする機会はなかった。

そもそもたまにお店で遊ぶだけだったので、自分で買う必要もなかった。

だからそれ以来、コンドームのサイズのことなど頭からすっかり消えていた。

それを思い出すことになったのは、彼女ができてからだった。


当初は「着けられればいい」くらいにしか思っていなかったので、何も考えずに都度適当に選んでいた。

特に問題はなかった。

しかしあるとき、もの凄く着けるのに手間取ることがあった。

着けるのに手間取ると、単純に萎えることがある。

萎えると余計に着けるのが難しくなる。

負の循環である。

場合によっては致命的なことだ。

なぜなのか最初はわからなかったが、そのうちサイズが合っていないらしいことに気がついた。


そこで初めてLサイズを試してみた。

しかしサイズの違いがまったく感じられない。

確かに頭の段階で引っかかることはなくなったが、やはり途中で引っかかる。

しかも装着感が悪い。

普通のサイズで問題ないこともあったのに、何が悪いのかわからない。

サイズの問題ではないのだろうか?

悩ましい。

10個入りで買うので、1度買うとしばらく使い続ける羽目になる。

彼女は実家暮らしで、あまり気軽に外泊できない家である。

するのは月に1回程度、1回に使う数は2,3個なので、4,5ヶ月はそのままになる。

その間、合わないゴムを使い続けるのが、なんとも微妙である。


まぁ子作りするときはコンドームなんか着けないわけで、結婚して子供をすぐに望むなら、そんな悩みはなくなるのかもしれない。

というか、立ち返って冷静に考えると、避妊は自然の摂理に反する行為だなと思う。

セックスは子供を作るためにする行為で、そして子供を作ることが遺伝子レベルで勧奨されるからこそ、そこに快楽が付与されているわけである。

本来、セックスにおける快楽は、動機付けというか「おまけ」である。

グリコの「おまけ」と同じだ。

快楽のためにセックスをすることは、「おまけ」のためにグリコを買うことと同じだ。

つまり、まぁ仕方ないと言える。


「おまけ」が目的化し、ついには本来の目的を防ぐことに走るのは、ある意味では人間の進化かもしれない。

生存率が上がり、寿命が伸び、社会が豊かになって高度になって複雑になって、子供を作ることを躊躇う要因を様々生み出す。

その結果現れたのが、コンドームという単純にして完璧な避妊具なのかもしれない。

人類の進化が生み出した、アイロニーに満ちた利器である。

なんの話をしていたかわからなくなったが、とりあえず良いコンドームがあったら教えてください。