異呆人

毒にも薬にもならない呟き

出会い系での出会いからのプロポーズ

先日、プロポーズした。

付き合ってちょうど1年になる。

1年経ったら結婚の話を進めるという話はしていた。

だから予定通りということになる。

私は「幸せな家庭」という偶像の崇拝者になるために結婚したくなり、そのために相手を求めて交際したのだから、比較的短期間での結婚だろうが異論はない。

それにプロポーズしても、彼女の心境はともかく、私自身は何も変わっていない。

考えなければならないことが1度に増え、内心少し面倒だなと思っている程度である。


彼女とはSNSのアプリで知り合った。

いわゆる出会い系である。

そもそも「出会い系」なる言葉が何なのかと思うが、私は「男女交際を目的に異性を探せるツール」だと勝手に解釈している。

大手企業がやっている結婚情報サービスだって、広く言えば出会い系である。

アドバイザーがいるかどうかの違いくらいではないだろうか。


私の周りには、友人にも職場にも女性はいるし、頼めば紹介もしてもらえたと思う。

女性との出会いに困っていたわけではない。

むしろ「紹介したい女性がいる」という話を積極的に断っていた。

このあたりの私の恋愛観というか無精っぷりは、他の記事に書いてある。

ともかくも、私は必要に迫られて出会い系を利用したわけではない。


なぜ出会い系を使ったのかと言われれば、私のことをまったく知らない女性と付き合いたかったからである。

紹介でもいいが、やはり紹介者からの情報が相手に入る。

先入観なく接してほしかった。

あと紹介だと人を介在させるのが煩わしい。

結婚情報サービスでも大して変わらないと思う。

実は興味本位で数ヶ月利用したことがある。

これは別の機会に書きたい。


私が自分のことを知らない女性と付き合いたいと思ったのは、私が自分を複雑な人間だと思っているからである。

私には「素」がない。

「これが自分のデフォルトです」というものがない。

あるとしたら、それは無味無臭の水のようなものであり、無表情で生返事しかしない状態である。

もちろんそんな状態で人と接するわけはないので、相手によってテンションやテンポや対応を変える。

相手の数だけ朱天という人間は存在する。

人の評価を全部寄せ集めると「冷静で落ち着いているが、熱い心を持ち合わせており、優しくて義理や友情に厚く、尊大で口が悪い」というキメラになる。


だから一般的に言われる「ありのままでいられる相手」など存在しない。

私自身に「本当の自分」などない。

もちろん合う合わないはあるので、無理せず合わせられる相手である必要はある。

例えば、私が水だとすれば水を沸かすにはそれなりのエネルギーと時間がかかるので、テンション高めの相手は辛い。

最低限の相性をクリアした上で相手に求めるのは、「家庭生活を営む朱天」を一緒に作っていってくれることである。

間違っても、私を理解しようとしないでほしいのだ。

そんなことをすれば、その人は理解出来ないことに頭を悩ますことになる。


私の女性に求める条件は少ない。

喫煙しないこと、年齢が3歳上から5歳下までであること、できれば私より体重が軽いこと(55kg未満)くらいである。

出会い系のアプリでその条件で絞っても、かなりの女性が残る。

総当たりするなんて、はっきり言って面倒だった。

だから私は相手からメッセージが来た女性だけプロフィールを見て、条件の合った相手とだけやり取りをした。


私は会った方が話が早いと思う人間だが、そのときは少し時間をかけてメッセージだけでやり取りした。

仕事が忙しかったことが大きい。

早めに判断して次に移る、というサイクルを回す自身がなかった。

彼女と会うのにも2週間ほどかけた。

やり取りをしていた女性は3,4人いたが、会うのは彼女が初めてだった。

そして初めての相手で初めての彼女を決めたことになる。

統計学的には非合理的かもしれない。


最初に会ったときはランチを食べて、彼女の提案で近くの公園と商業施設をぶらぶらした。

かなり長い時間一緒にいたが、大した話はしなかったし、一緒に何かをしたわけではない。

それでも彼女は満足そうだったし、私も不思議と気疲れしなかった。

人となりは会って話をすればすぐわかる。

善良な人間性が透けて見えた。

その初対面で交際を申し込むことを決め、次のデートで実際に告白した。

まどろっこしいことは嫌いである。


彼女には彼女の抱えていることがあり、それを受け入れてもらえるか不安に思っていたようだが、私のようなカオスな人間からすれば何の問題もなかった。

交際中に新たに気付いたことは、彼女は私の当初想定よりかなり寂しがり屋で甘えたがりで豆腐メンタルだということだった。

もう少し若い頃は「重い」と受け付けなかっただろうが、そこは私が歳をとったせいか、彼女がいくぶん歳下だったからか、何とか受け入れられた。

彼女の愛は私にとって、地球に落ちんとするコロニーのような重量感があったが、それだけ愛されていることを努めて前向きに解釈した。


もう互いの両親への挨拶も済ませており、あとは事務的に粛々と事を運ぶだけである。

考えなければならないことは多い。

その一つ一つの意味をできるだけ深く考えないようにし、できるだけ社会一般の常識に合わせることが目下の課題である。

昔なりたかった「普通」に、少しは近づけているだろうか。