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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

やさしい世界

神奈川県の障害者施設で大量殺人が起こった。

新聞で事件の概要を読んだ限りでは、起こりそうなことだな、と思った。

起こりそうだからといって、行われたことが許される、あるいは認められるわけではない。

殺人は法律で禁じられているのだから犯罪である。

犯罪者は処罰されなければならない。

 

おそらく、施設に勤めていて何らか思うところがあったのだろう。

教員免許を取るために教育実習をしていたらしいから、教員になりたかったのかもしれない。

ただ、教員も狭き門となっている。

そこから教員ではなく障害者施設で働くことになったのだから、曲折があったのだろう。

そして実際に働いてみて、何か思うところがあった。

正確に男がどう思ったのかはわからない。

結果として、血なまぐさい事件が発生した、ということである。

 

私は障害者に接した経験がほとんどない。

身体障害者知的障害者も、である。

身体障害者が電車を降りるときにスロープを使ったり、知的障害者が電車で騒いでいるのを見る程度である。

あと最近住んでいるところの近くに特別支援学校があるので、たまにグラウンドでスポーツをしているのを見かける。

街で見かけると、知的障害者は果たして意思疎通が可能なのだろうかと思ってしまうが、グラウンドで遊んでいるのを見ると楽しそうで、私たちと大して変わらないのではないかと思う。

 

小学生の頃、おそらく今でいう発達障害だと思われる子と接していたことはあった。

彼は驚くほど勉強ができなかった。

加えて粗暴で、気に食わないことがあると暴力で解決しようとするところがあった。

コミュニケーションは図れる。

だが通常の知的学習能力はなかったと思われる。

彼のような微妙な人間は、それが能力的・性格的な問題なのか、障害なのか区別が難しい。

確か中学校に上がるときに、彼は支援学校に通うことになった。

 

私は彼から好かれていた。

彼曰く、「朱天だけはまともに相手をしてくれる」とのことだった。

彼は粗暴だったので、ほとんどの人間から嫌われていた。

私は彼のその性格や能力が、先天的で彼に責任のあるものではないと感じていたので、他の人間と同じように接することを心がけた。

だから結果的にまともに相手をする人間は私だけになった。

私も偉人のような優しさを持っているわけではない。

そういう人間を差別しないことが道徳的に正しいことだと教えられていて、そしてそれを実践していただけである。

いわば優等生というキャラクターを貫いていただけだった。

彼と接するのは骨が折れるし、不快な思いをすることも多かった。

嫌いだとは思わなかったが、決して好きな相手ではなかった。

 

身体障害にしろ知的障害にしろ精神障害にしろ、程度によってはまともに生きていくことは難しい。

他人の支援がなければ生きていけない人も多い。

人間社会というのは、そういう弱者を救済するようにできている。

これがジャングルであれば、弱者は生きていけない、つまり死んでお終いである。

だが日本にそんな未開の土地はない。

制度という網で救われて生かされる。

やさしい社会である。

 

障害者と接するのは苦労が多い。

施設職員として働いていた男が、自分の境遇と自分が接する障害者の境遇を比べて、身勝手に己が不遇を嘆いたという筋書きは、私の勝手な妄想ながら当たらずとも遠からずではないかと思う。

そう、身勝手である。

身勝手で理不尽な暴力というのは、すぐそばにある。

そういうものを、社会は常に内側に孕んでいる。

防ぐ手立てはない。

いつかその刃が自分に刺さるかもしれない。

そう思って生きていくしかない。

 

男は「まとも」だったが恵まれてはいなかっただろう。

そういう人間ほど、理想の生き方には程遠い現実を突きつけられる上に、網にもかからないので中途半端なところで自力で生きていくしかなくなる。

文字通り、救いようがない。

男自身がたくさんのものを諦めて、妥協するしかないのである。

なのに世の中には恵まれている人間の情報が溢れていて、自分だけが不幸であるかのような錯覚を覚える。

それが悪いというのではなく、社会がそういう方向に進んできたのだ。

ならば社会がそれを教えてやるような教育も必要だろう。

情報リテラシーというか、情報との接し方に対する教育が、いつまでたっても未成熟なのが不思議でならない。

 

男が精神状態の異常を疑われて強制的に入院させられていたらしい。

もし男が精神疾患だと診断されるなら皮肉なことだと思う。

男が殺した「一人では生きていけない弱者」に男自身が含まれることになるからである。

男の理屈に則るなら、異常である彼自身は自殺しなければならない。

逆に「まとも」であるなら、被害者の数からして死刑は免れないだろう。

本当に、皮肉である。

 

人間の世界はやさしい。

思いやりにより、弱者を守ろうとする。

救えるものは全て救う。

死ぬはずだったような病も治るようになり、高齢化はどんどん進む。

でもそのやさしさが、本当にすべてのものに注がれているのかはわからない。

結局、多くの人が持っているやさしさは自分に都合の良い「やさしさ」だと思う。

例えば、男と同じように1年2年と障害者施設で働いてみて、一切の疑念のない純粋な「やさしさ」を注げる人間がどれほどいるだろうかと思う。

他人事だから好きなように言える。

そういうときに道義的な言葉を口走る人間に限って、身の回りの人、目の前の人にやさしくなかったりする。

今回の事件の話を聞いて、そしてそれに対する人々の反応を見て、そんなことを思った。