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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

家事や育児をしない夫はどうして生まれるのか?

社会

よくブログとかネットのコラムとかいろんなところで、「家事、育児をしない夫」の話を目にする。

男がいかに家事や育児を軽く考えているか、共働きで家事や育児まで女性が多く担わなければならないことがいかに理不尽か、いくら収入が夫の方が多くても家事や育児の労働量まで考慮すると妻の方が稼いでいるくらいであるとか、もっともな話ばかりである。

 

こういう話を聞くと、話し合いで解決出来ないのかなと思う。

たぶん互いに、それなりに理屈の通った言い分があるのだと思う。

どちらかが一方的に間違っているというのではなく、考え方や価値観の違いだったりする。

そういうものは完全に一致しないから、互いに歩み寄る必要がある。

そのためには話し合う必要がある。

話し合いにすら応じてもらえないなら、それは相手の人間性に問題がある。

もちろんそんな人間を伴侶に選んだ人間の見る目にも問題がある。

 

相手の理屈を論破して一方的にやり込める、あるいは反省を促すのは、相手が敵であるなら戦術の一つである。

しかし夫婦であるなら配偶者は敵などではなく、一緒に人生を歩むパートナーである。

勝ち負けをつけたがる、あるいは自分の正当性を強調する意味がわからない。

ガチンコバトルをしても、お互いが消耗するだけである。

白黒はっきりつけるのではなく、グレーゾーンのどこで折り合えるか話し合えばいい。

 

私は男性の家事・育児不参加の理由は、社会的・経済的な要因が大きいと思っている。

個人の性格とか考え方より、もっと大きなレベルの話である。

はっきり言って現状の小手先の方法では、どうにもならないのではないだろうか。

女性の多くが男性と同じだけ稼げるようになり、残業の減少など働き方の改革が進む必要がある。

それに伴って社会の意識は自然と変わっていくだろう。

今は意識改革ばかりが叫ばれて、労働の実態はさほど変わっていない。

先進的な企業の制度などは大々的に取り上げられて目にすることになるが、そんなところで働くのは一部の一部である。

 

今言われている男性の家事・育児の不参加は、そういう意味では感情的な問題だと思う。

「こうすればいいよ」というのではない。

「私はこれだけ頑張っているのに、何で認めてくれないの」というものである。

女性に多いが、解決策を求めているのではなく、共感してほしいというものである。

それなら単純に話し合いで解決できる問題ではないかもしれない。

なぜならそれは、相手に愛があるかどうか、という問題だからである。

 

愛があれば思い遣る。

つまり男性が家事・育児をしないのは、配偶者を愛していないから、ということになる。

それはもっと根本的な問題である。

家庭という共同体を運営する上で、実は致命的なことかもしれない。

家事・育児をしない相手に対して、そんな相手を選んだ自分への自戒も込めて、離婚を切り出してもいいのではないだろうか。

愛がなくても、なんだかんだ理由をつけて、現実論とか持ち出して離婚をしないなら、それは結局その人を苦しめている、現状の社会システムというぬるま湯に浸かる行為だと思う。

それが悪いとは言わないが、批判する側が批判される側に回っている状態である。

 

私はイクメンというものに違和感がある。

それを取り上げること自体が、問題の本質を見誤っていると思う。

あと、1日くらい家事・育児をして、「こんなに大変なんだよ!」と言う男性も胡散臭い。

ただ注目を集めたいだけなんだろうなと思う。

いつも「家事・育児をしない夫がどうして生まれるのか」という議論がないまま、対症療法のような感情論が振りかざされる社会って、歪だなと感じる。

この前、日経の記事のコラムにも書いてあったが、女性の働き方を変える前に男性の働き方を変えた方がいいのではないだろうか。

 

それは「イクメン」を作るための仕組みを考えることではなく、男性と女性の働き方を平準化する変革である。

働き手を増やして1人当たりの収入を減らし、広い意味でのワークシェアリングをすれば面白いと思う。

男女だけでなく、老人も外人も同一労働同一賃金で仕事を分け合う。

実際、そんな未来が来るかもしれない。