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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

頭の中身と鞄の中身

先日、社内で事務処理をしていたとき、先輩のUさんが「金太郎って、どこだっけ?」と唐突に聞いてきた。

質問の趣旨がわからなかったが、「『足柄山の金太郎さん』だから、箱根の当たりじゃないですか?」と、とりあえず回答しておいた。

それを聞いていた他の同僚が、「質問の意味もわからないけど、その質問に即答できる朱天さんもよくわかりません」と言っていた。

まぁそうかもしれない。

ちなみに先輩の質問の意味はよくわからないままで、続いて「桃太郎は広島だっけ?」ときたので、「桃太郎は岡山ですよ」と答えておいた。

 それくらいは知っていてほしいの

 

U先輩は私が余計な知識をいろいろ持ち合わせているのを知って、よく意味のわからない質問を投げかけてくる。

もちろん毎度答えられるわけではなく、「ミドリムシって何が身体に良いの?」とか、知らねぇよと思うようなことも聞いてくる。

U先輩の突拍子のなさは異常だが、私の周りの人間は比較的安易に「朱天さんなら知ってるかなぁと思って」といろんなことを聞いてくる。

そういう人間だと思われている。

 

確かに私は役に立たないようなどうでもいいことから、豆知識みたいなお役立ち情報まで、いろいろ保有している。

ただ私はそういう雑学マニアではないし、好んでそういう立ち位置にいるわけではない。

記憶力が異常に良いから、一度仕入れた情報がなかなか消えないだけである。

なおかつ興味の範囲が浅く広くなので、雑多な情報を拾い上げてしまう。

博学でありたいとは思うが、そうであることが自分のアイデンティティであるという認識はない。

だからクイズ大会などに出て活躍できるような類いの知識はないし、そういうことを誇れる人間になりたいとは思わない。

あえて言うなら、昔話とか漫画やアニメに出てくるような長老のような人間になりたい。

長く生きることで身につけてきた生活の知恵を、ここぞというときに活かせるような人間がいい。

そういえば、昔、「長老」とあだ名されたことがあった。

それは、ただ老成していたというだけである。

 

もう一つ、「物知り」と同じくらい周囲から認識されていることとして、「物持ち」がある。

何か困ったことがあったとき、「朱天さんなら知ってるかも」と同じように、「朱天さんなら持ってるかも」と思われることが多い。

例えば絆創膏や市販薬の類いが多いが、文房具とか爪切りとか、あったら便利だけど常時持ち歩いてはいないようなものを、私は持ち歩いていたりする。

特に仕事鞄には、人が想像するより遥かに多くのお役立ちグッズが入っている。

「備えあれば憂いなし」と本気で思っているからだ。

 

例えば私の仕事鞄には、折りたたみ傘、ティッシュ、ウェットティッシュ、電卓、歯ブラシ、櫛、汗拭きシート、ブレスケア、割り箸、解熱剤、胃薬、下痢止め、目薬、朱肉、イヤホン、扇子など、文房具以外のものが大量に収まっている。

仕事関係の書類も、普通は普段持ち歩かないようなパンフレットも持ち歩いているので、私に電話してきて「◯◯の値段、わかりますか?」と聞いてくる同僚も多い。

もはやコンビニエンスストアのような人間である。

もちろん、それだけ異常にものが入っているので、私の鞄はとても重たい。

同僚に持たせると、あまりの重さに驚く。

私はいつも冗談半分で「筋トレです」と言っている。

冗談以外の半分は、本気で筋トレのつもりで鞄を持っている。

 

その中の多くは、1年に何度活躍の機会が訪れるかわからないようなものである。

でも、間違いなく年に何度かは「今、これがあったら!」と思うような機会がある。

そしてそんなタイミングがいつ訪れるかはわからない。

だから常から持ち歩くのである。

それだけ備えを欠かさないというか、悲観的な人間なのである。

常に窮地を想像していると言っても過言ではない。

 

また備えはピンチだけでなく、チャンスに備える意味もある。

ここぞというときに、さっと知識が出てくる、必要なものが出てくることで、それを差し出される相手に対する価値が急上昇する。

信頼性や依存度と言ってもいい。

そんなことの積み重ねが、自分の価値を上げることにつながり、逆に自分が窮地に陥ったときに、助けを得られるかということにつながる。

 

まぁそれは結果論なのだが。

私の知識は自動収集されるだけのものだし、ものの備えは私の用心深い性格ゆえである。

普通に生きていてそういう人間として扱われてしまうなら、それは避けようのないものだと思うし、避ける必要のないものだと思う。

変わった人だと思われることもあるが、無駄にたくさん知識やものを持っているから変人なのではなく、変人だからそんな状態になるのである。