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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

反骨の精神②

高校で何が嫌って、受験勉強が嫌だった。

知らないことを学ぶことは楽しいが、それが点数を取るためのツールになり下がり、ただ問題の反復練習をさせられることが苦痛だった。

進路指導担当の教師などは、露骨に難関校の受験を勧めた。

下手な鉄砲数撃ちゃ当たる。

そして数少ない当たりでも、進学実績とするには十分なのである。

だから浪人してでも、東大とか京大を受けさせたがった。

酷い話である。

進路指導担当は世界史の教師だったが、ある試験で授業の感想や教わった範囲で面白かったことを記述する問題が出された。

私はここぞとばかりに、受験対策に偏った授業がいかに面白くないかを、解答欄いっぱいに300字したためた。

それでも15点満点中、10点はくれた。

そんな教師でも、教師として最低限の矜持はあるようだと思った。


私は授業中だけでなく、クラスでも堂々と浮いた存在だった。

クラス委員が空いたホームルームの時間に何をしたいか意見を募ったとき、挙手して「昼寝」と答えるような有様だった。

それに対しては「いや、お前、いつも昼寝してるだろ」という冷静なツッコミが入った。

文化祭の発表で劇をやるというときに、演目を何にするか意見を募ったときは、これも挙手して「羅生門」と主張した。

そして採用された際は、死体から髪の毛を毟る老婆の役をやると言った。

最早正気の沙汰と見做されていなかったが、クラス委員は黙って演目の候補として、黒板に「羅生門」と書いた。

今なら申し訳ないことをしたと思える。


ただ迷惑ばかりかけていたわけではない。

あるときのホームルームで、オリエンテーリングのクラス委員がなかなか決まらなかった。

放課後に残ったりする必要があり、かなりめんどくさいからである。

なかなか決まらないことに、担任の教師の機嫌が見る見る悪くなっていった。

そのときの担任は、部活の顧問だった。

爆発するともっとめんどくさいことは目に見えていた。

私はギリギリのタイミングで委員に手を挙げた。

完全に空気を読んだだけの行動に、クラスの皆から感謝された。


またあるとき、遠足の班がうまく決まらなかった。

皆、いつものグループで固まる。

そうして出来上がった男子と女子のグループそれぞれをくっつけて、男女混合の班を作ろうとした。

そうすると、男子に2人だけのグループができてしまった。

物理学研究部の2人だった。

別にニッチな部活動に精を出すことは悪いことではない。

彼らが問題だったのは、他の人とまったくコミュニケーションを取らないことだった。

コミュ障とか、そんなレベルではない。

話しかけても無視に等しい対応をされる。


だから誰も同じ班になりたがらなかった。

私はいつも独りだったが、そのときは私を不憫に思って声をかけてくれた人がいた。

だが、あまりに話が進まなさそうな雰囲気だったので、誘ってくれた人に詫びを言って、件の2人と同じ班になった。

周りからは感謝されたが、ほとんど会話を放棄する2人に黙ってついて行くだけの、なんとも言えない遠足になった。

ちなみに同じ班になった女子は、完全に別行動を取っていた。


大勢に与せず、群れることを嫌い、周りに噛み付いてばかりだった高校時代を思えば、今は歳をとって大分丸くなったと思う。

丸くなったことが良いことかどうかはわからない。

あの頃は尖っていたが、純粋ではあった。

触れれば切れるような鋭利さは、武器でもあった。

丸くなることは刀がなまくらになるようなもので、人間として退化しているということなのではないか、とも思う。


今でも反骨精神は持ち合わせている。

ときどき、思い出したように、遠慮なく噛み付く。

それを本当に忘れてしまったとき、私は私の自己同一性の一部を失うのだろうと思う。

そして今の私は、すすんで自己同一性の一部を放棄することで、凡庸になろうとしている。

それは生きていくために仕方がないことと、自分に言い聞かせている。

だからこうやって昔の思い出を書き記すということは、自分への墓標を立てる行為でもある。