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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

サプライズという自己満足

随想

そろそろプロポーズしようかなんて考えている。

私の場合、彼女を不安がるので、常から将来の話をしている。

断られるという心配はしていない。

時期に関しても、ほとんど予告ホームランよろしく宣言しているので、相手も大体わかっているだろう。

どこでどのように、というところしか問題にならない。

それはある程度考えてセッティングした。

準備はほぼ終わらせた。

 

だからそんな必要はまったくないのだが、世の中の人がどんなプロポーズをしているのか気になり、ググって読んでいた。

プロポーズに関する幾許かの記事が出てきたり、男女それぞれのプロポーズに関する意見・感想などが出てきた。

最近はプロポーズのプランを作ってくれる業者まであるらしい。

感動的な演出などを指南してくれるのだろうか。

私の頭が古いのかもしれないが、私などは「プロポーズの演出くらい自分で考えろよ」と思ってしまう。

喜んでもらえるか不安になる気持ちはわからないでもないが、人の知恵を借りてやるようなことでもないだろう。

演出なんてまったくいらないくらいである。

自宅でまったりしているときに、ボソッと「結婚しようか」でも、喜んでもらえる時は喜んでもらえるだろう。

気持ちの問題である。

 

そんな風にネットの海を漂っていると、「フラッシュモブでのプロポーズで彼女を怒らせてしまいました」という知恵袋の質問が出てきた。

開いてみると、多少荒れたのかアンサーに近いような関連の質問もたくさん出てきた。

あまり深くは追いかけていない。

興味があれば、各自で探して見てほしい。

ネットの話なので、どこまで本当の話かわからない。

関連界隈では、会社の同僚などの前で断った彼女を非難する意見と、彼女に同情的な意見とが出ていた。

開いた質問では彼女側に批判的な意見がベストアンサーになっていたが、ネット上では実際より声を大きく見せることはいくらでもできるので、一般の人のマジョリティがどちらかは定かではない。

 

私はそもそも論として、サプライズが好きではない。

理由はこの記事の表題の通りで、「サプライズってする側の自己満足だよな」と思ってしまうからである。

相手を喜ばせたい気持ちがあるのはわかるし、サプライズそのものが悪いわけではないと思うが、性格の捻じ曲がっている私には、その好意の向こう側に「感動させた俺(私)、すごくない?」という自己顕示欲を見てしまう。

本当に、相手がどう受け止めるか考えたかを考えてしまう。

 

フラッシュモブとなると尚更である。

フラッシュモブが出てきてもうしばらく経つと思うが、あれは日本でも見られるようになった当初から賛否両論あったように思う。

フラッシュモブは日本の文化の中では受け入れられにくい。

日本的なものの考え方に「身内」というものがあると思う。

身内の中ではある程度の失礼や無作法は許されるが、外の人間に対してはそうではない。

「本音と建前」にも通じるが、日本人は自分のテリトリーの内側の人間と外側の人間で態度を変える。

フラッシュモブは外側の人間を強制的に巻き込む演出である。

そこがただの内輪でのサプライズと異なる。

恥ずかしいと感じるのは日本的で、そして日本ではごく一般的な感情である。

だから拒否感を催す人がいる。

私はレストランや居酒屋でバースデーケーキを出すときに、音楽を流したり照明を暗くしたりして雰囲気を変えるのもやめてほしいと思う。

周りの無関係な客に愛想で拍手されたりすると、居た堪れなくなる。

 

 本当にフラッシュモブでプロポーズして断られた人がいるなら、どうして相手がフラッシュモブを受け入れられるタイプか付き合う中でわからなかったのだろう?

それが一番疑問である。

フラッシュモブの動画を検索したなら、それと同じくらい否定的意見も検索に引っかかるはずだ。

例えそれを知らなかったとしても、相手が喜ぶか想像する中で結果は見えるはずである。

喜ぶところしか想像できなかったなら、自分に都合良く解釈し過ぎる、脳内お花畑状態だったのかもしれない。


まぁ衆目の前で断られる辛さには同情できる。

ほとんどギャグ的だと思うが。

断る方にも配慮が足りなかった部分もあったろうが、こちらにも同情できる。

うん、断るよね。

むしろ皆の前ではOKして、後で断った方がダメージが大きいだろうから、どちらが良いかは悩ましいところである。


ちなみに私は学生時代に誕生日をサプライズで祝われたことが何度かある。

いずれもサプライズであることが途中で見抜けてしまい、上手く驚けず(そもそも私が驚くこと自体が不自然だが)、「ですよね〜、バレますよね〜」みたいな感じで周囲がお茶を濁した。

気持ちは嬉しいし、当然ながら悪意はないので喜んで受けたが、できれば普通に祝ってほしい。

いや、祝われるのが苦手な私は、祝ってもらわなくて十分である。

相手のことを思いやるとき、そこには必ずエゴが紛れ込む。

紛れ込むことが悪いことではないが、「もしかしてこれは自分が楽しんでいるだけかも」と思い巡らすことは必要だと思う。