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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

何かのせいにするのはやめた方がいい

重い持病を持っている友人がいる。

ときどき発作のように症状に苦しみ、入退院を繰り返している。

そんな状態だから仕事も急にしばらく休むことになるらしく、そのせいで解雇されたこともあるようだ。

遊びに行く約束をしていても、体調次第で行けなくなったりする。

やりたいこともできない。

その人は病気の身の上を激しく嘆くこともある。

可哀想だなとは思う。

同じ病気を患っているわけではないので、いかに苦しいか正確に理解してあげることはできない。

でも私は、その人が幸福感を得られないのは病気のせいではなく、それを病気のせいにしている卑屈なその人自身のせいだと思っている。


人は境遇を選べない。

不幸な身の上の人もいれば、天が二物どころか三つも四つも与えたような人もいる。

だから幸福感を得られないかといえばそうではなく、幸せというのはただの主観なので考えようによってはどうとでもなる。

今あるものの中で、分相応の幸せを見つければいいのである。

比較するから羨む。

それは自分で自分の首を締めているのと同じだ。

お金と一緒で、それ以外のものだって、なければできないことはたくさんあるが、なくても幸せを感じることはできる。

都合の良いように現実をぬるく解釈してはいけないが、現実を直視し続けるからこそ見えるものもある。


細かい理屈はともかく、件の友人は愚痴が多すぎて聞くに堪えない。

話くらいは聞くが、毎回そんな話だったり、何か良い報告をするたびに羨むような発言をされては、こちらがナーバスになる。

そしてこちらがナーバスになっていることに配慮しない姿勢が余計に気になる。

ただのストレス発散として利用してもらうのは構わないが、最終的にそれで周りから人がいなくなれば、一番辛い思いをするのは当人だろうに。


世の中には意外とそういう人がたくさんいる。

例えば親の収入は子の学歴に影響し、それが子の収入に影響するので、低収入が世襲するような状態、つまり格差が指摘されている。

家庭が貧しかったから自分も貧しい境遇になるというのは、一つの要因として正しいと思われる。

しかし自分の低収入を親や育った環境のせいにするのはいかがなものだろう。

要因として把握することは正しくても、そこに責任転換することは何も生まない。

というより、ただの逃げである。

努力だけで生まれもったビハインドを跳ね返せるとは思わないが、そうやって逃げる人には、その姿勢が生む日常生活のマイナス点がたくさんあるものである。


例えば、自分が異性にモテないことを容姿のせいにする人がいる。

いわゆるモテに占める容姿の要因としての割合は大きい。

まず大きなビハインドであることは否定しようがない。

ただ「ブサイクだからモテない」という認識は、ブサイク以外のモテない要因を覆い隠してしまう。

それは楽な行為ではあるが、根本的な問題解決には1mmも寄与しない。

現実を都合良く解釈する必要はないが、正しく把握する必要はある。

ただ前向きになれというのではなく、後ろ向きなことで覆い隠してしまう現実を受け入れてほしい。


責任転換は簡単だし、楽である。

そしてそこに責任の一端があるという指摘も、往々にして正しい。

ただ「私は〜だから」という開き直りが良い方向に働けばいいが、そういう人には肝心の要因以外にも問題点があることが多い。

また卑屈さも何も生まない。

自虐ネタにして笑い飛ばそうとするならまだしも、フォローに困るようなレベルなら相手に気まずい思いをさせるだけである。

自分はヒロイックな気分に浸ってセンチメンタルになれるのかもしれないが、そういう姿勢は相手のことを考えない自己中心的なものだと批判されても仕方ない。


卑下もせず過信もせず、悲観的でも楽観的でもない中庸の視点で、現実を正確に切り抜くのが一番いい。

正しく把握し、きちんと受け入れる。

因果を引き受けることは楽ではないが、そうして得られる強さは、本人も周囲も幸せにすると思う。