異呆人

毒にも薬にもならない呟き

支えられた経験がない

私は自分の家族に対して比較的薄情である。

血の繋がった他人、くらいにしか思っていない。

実際にそうだと思う。

人間としてタイプが違う。

生きていく上での価値観が違う。

生活リズムも違う。

高校卒業後に家を出て一人暮らしを始めたのも、あまりに違い過ぎてしんどかったからである。

家族の方も私のことが理解できず、遠慮がちに接する感じである。

優しくはしてくれる。

ただ、今もそうだが居心地が良いとは感じない。

 

交際している彼女は違う。

家族のことをとても大切にしている。

私もその気持ちを尊重し、家族付き合いに参加している。

私とは感覚というか価値観が違うだけで、家族を大切にすること自体は良いことだと思う。

違うものをただ拒絶するのは大人気ない。

許容できる範囲で合わせればいい。

彼女が家族を大切にするのは、彼女自身が大変だったとき、家族が支えてくれたからだそうだ。

彼女はそのことにとても感謝していて、だから何かあったときは自分が支えになりたいと考えている。

 

私も家族に何か困ったことがあれば、できるだけのことはしようと思う。

しかしそれは家族が大切だとか、愛情を感じるからだとか、そういうことではなく、単にそれが血縁のあるものとしての義務だと感じるからである。

だから親が希望しても私は特に地元に帰りたいとも思わないし、そこまでする義務はないと思う。

親も希望は述べても強くは言わない。

自分たちが私に対して特段の支援をしたわけではないとわかっているから、私に対しては基本的に口出しせず、好きにしたらいいという感じである。

ちなみに私は4人兄弟だが、親は他の兄弟にはあれこれと口出ししている。

私は親から愚痴とも何ともつかない兄弟の近況をときどき聞く。

特に兄弟の近況を知りたいとも思わないが、話して気が済むならと黙っていつも聞く。

 

私にとって、誰かを頼ること、甘えることは弱さでしかなかった。

その考えは今も大きくは変わっていない。

だから辛いとき、苦しいときも独りで乗り切ってきた。

誰かに支えてもらったことがない。

差し伸べられた手は、丁重に拒んできた。

それが自分にとっての強さだったし、その点において、私は強くなれたと感じる。

もちろん人生においては、人との協調が必要だったり、協調することでより効率的に、大きな成果を得られることもある。

だが、最後の最後に頼りになるのは自分自身だと、私は考える。

やはり独り立つ力なしにとる協調は、弱さ故の依存を孕んだものではなかろうか。

 

支えられた経験がない私は、だから「家族の支え」というフレーズに共感できない。

私が家族に対してやや冷淡なのも、そのせいだと思っている。

友人や恋人に対しては私が愛情を感じるので大切にしているが、それでも辛いときに支えてもらったということはなく、何だかそこまで感極まるようなものはない。

結婚式で涙する花嫁や花婿を見ても理解しがたいし、きっと私は泣かないと思う。

 

私はそのまま独りで生きていくという選択を止めようとしている。

不安があるとすれば、自分がこんな人間であることである。

いつかどこかのタイミングで、それがわかり合えない深い溝として、新しい家族との間に姿を現わすのではないかと危惧している。

今はあまりあれこれ考えないようにしている。

普通に結婚して、普通に仕事をして、自由をあえて捨てて制約を受け入れ、細やかな日々の幸せを噛み締めるような生活を目指す。

そうすれば、今度こそ普通になれると思う。

まぁ少なくとも普通のフリは今よりさらに上手になるだろう。

そこに待っているものが自分にとってどんな意味を持つのかはわからないが、自分から積極的に環境を変えることで、少しでも違う世界が見たい。