異呆人

毒にも薬にもならない呟き

バツイチと未婚はどちらがマシか?

昔、ネット上で表題のような議論を見た。

各々事情が違うのだから、そんな比べ方が不毛なことは間違いない。

人間としての評価は多面的で、誰かにとっての良い人が、誰かにとって鬱陶しい人だったりする。

以前の会社の上司に、とても自己中心的ですぐ保身に走ったり、とにかく自分が楽をすることを考える人がいた。

そんな人でも会社からはそこそこの数字を作る人間と好評価だったし、結婚して子供もいたので、一度家に帰れば良き夫だったり良き父親だったりするのだろう。

子供の少年野球の話なども、よく聞かされた。

 

だがあえて真面目に考えてみると、どっちもどっちだなと思う部分もあるし、それ以上にそんな不毛な議論を試みる社会的背景があると感じる。

まず未婚と言っても事情は様々である。

結婚したくない人と結婚できない人がいる。

結婚したくない人はそもそも比較の対象にならない。

他人がとやかく言うことではないだろう。

結婚できない人も本人の人間性に問題のある場合もあれば、性的魅力が足りない場合もあるだろうし、経済的事情による場合もあるだろう。

人間性からして、ああ確かにこの人は独身だろうなという人もいるのは確かだが、そんな人ばかりではない。

また人間的には魅力があっても、性的魅力に乏しいために結婚できない人は、褒められこそすれ謗られるものではないだろう。

バツイチの人だって、相手がDVだったり、借金まみれになったり、浮気したり、いろいろ事情はあると思う。

話を聞いていて、それは仕方ないと思うこともある。

もちろん、そんな人ばかりではないが。

 

一つ言えることは、結婚は相手のあることである。

相手がある以上、相性がある。

だから結婚できたということは、少なくとも何らかの面において相性が合ったということだろう。

それはその人が社会一般的に人間的に優れているとか、魅力的な人物であるということを意味するのではなく、単にその相手にとってそういった魅力のある人間である、ということを意味するにすぎない。

だから結婚できたことをもって、「誰か」に選ばれる価値があったと考えるのは少し違う気がする。

それは不特定の「誰か」でなく、目の前の特定の相手にとって価値があっただけである。

そして離婚する、バツイチになるという事実そのものは、その人が特定の相手と合わなかったということしか意味しない。

人間性に問題があったり魅力がなくなったりであるケースも含まれるが、それはバツイチであるという事実のみからはわからない話である。


ただ相手があることなのだから、その相手を選んだのはその人である。

DVや借金や浮気は、する相手が悪い。

される方に原因を求めるのは、ただの言い逃れでナンセンスである。

しかしそんな相手を選んだということに関しては、選んだ側にも一定の責任があると思う。

結婚は双方の合意によって成り立つ。

ロクでもない相手であったなら、それを見抜けなかったというのは、言い訳としては少し情けない。

だからバツイチの人が別れた原因を一方的に相手に求めていたりすると、みっともないなと思う。

概ねそういう人は協調性が低く、家庭生活に限らず職場などでも疎まれるものである。


そもそも結婚していることそのものに価値はない。

その結果として幸福であって、社会的に価値があると見なされるべきである。

だから離婚について、「結婚に失敗した」と表現するのもおかしな話だと思う。

成功も失敗もないだろう。

関係性の維持ができなかったとは言えるだろうが、維持することが良いか悪いかは状況により様々である。

日本は特に継続性を重んじる文化だからだろうが、転職や離婚などの関係性を打ち切る行為に対して批判的な人が多い。

我慢して続けることそのものが美徳と考える人が多いが、我慢が報われなかった結果を引き受けるのは、それを評価する周りでなくその人自身である。

もちろん周囲に迷惑をかける場合もあるだろうから、結局は総合的なバランスを考えて難しい判断を迫られることになるのだが。

まあ、それが人生である。


とにかく結婚したい、という人を見かけると、その事実の向こうにどんな世界を思い描いているのだろうと思う。

結婚は良いことばかりでないし、悪いことばかりでもないだろう。

別々の人間が人生の多くの部分を共有するということはとても難しいことで、お互いの妥協や譲歩なくしては成り立たない。

だから快く相手に譲れるか、相手が幸せであることで自分が幸せを感じられるか、ということが大切だと思う。

そんな面倒なことをしたくないというのなら、独りで生きていくことも素晴らしい選択である。

結局は沢山ある選択肢の中で何を選ぶか、一度しかない巻き戻しの効かない人生で、急いで熟慮することが求められるのだ。