異呆人

毒にも薬にもならない呟き

残業そのものが悪ではない

ワークライフバランスが叫ばれるようになって久しい。

経済が右肩上がりに成長し、物を作れば売れる時代においては、モーレツ社員と言われるように栄養ドリンク片手に長時間残業するのも、一つの形としてアリだっただろう。

そうではない現在において、同じくらいの労働力を企業が抱えていたら、ワークライフバランスなど唱えなくても一人当たりの業務量は大幅に減って、自然と私生活に費やす時間は増えたと思う。

ただ企業は成長が頭打ちの経済において生き残りを図るとき、コスト削減に走る。

採用を絞って非正規で穴埋めし、業務量の増減はそこで調整する。

いわゆる雇用の調整弁である。

それ自体は当然である。

社会的功罪はともかく、戦略としては合理的だ。

そうして正規雇用が守られてきた。

だがその代償として正社員の一人当たりの業務量は増え、長時間残業は残ることとなる。

 

だが長時間残業が心身にかける負荷は大きい。

鬱病などが社会問題になるにつれ、その負の側面が強調されるようになった。

また女性の社会進出が進むものの、家庭を持つ場合の家庭内での女性の役割は変わらず、残業できるできないかが職位や職務内容に影響することが問題視されるようになった。

ダイバーシティだとか労働生産性だとかも出てきて、残業=悪という構図ができている。

社会構造や文化・風土に近いものも複雑に絡み合い、事はそう単純ではない。

残業が悪いのではない。

残業が起こる背景や、残業文化がいつまでも消えない背景が問題なのである。

 

違法な長時間労働やサービス残業は論外である。

残業代を固定給に含めるような制度も問題がある。

だが残業の効用もある。

業務の繁閑をそこで調整できるし、残業代が収入の上乗せになり生活を支えている人もいる。

他の人に任せられない仕事をしている人からすれば、杓子定規に残業ができなくなっても困る。

残業はただなくせばいいというものではない。

残業の背景を正さなければ、結局歪みが生まれて皺寄せを受ける人が出てくる。

 

そもそも残業の発生する背景に非効率な業務や生産性向上の余地があれば、そこに手をつけなければ別の形で問題が生まれるだろう。

残業代が労働のインセンティブになるのは、そもそも低賃金なのが問題なのだ。

残業が避けられない人には、厳密な収入や職種のハードルを設けて、ホワイトカラーエグゼンプションを導入したらいい。

残業が女性の社会進出の妨げになるというのは、そもそも間違いである。

女性が家事も育児も担わなければならない社会風土が問題なのであって、家事や育児を家族や業者に任せて残業できればいいのである。

私生活を充実させたい人もいるだろうが、そういった人は個人の努力で何とかすればいい。

ワークライフバランスを重視している企業や残業のない職種で働けばいい。

一律に規制をする必要はない。

 

大体、上記にも含まれるような有識者などの理論は、十分な余力のある大企業は実行できても、毎日が精一杯の中小には「寝言は寝てから言え」というようなものだろう。

私はワークライフバランスを声高に主張する人があまり好きではないのだが、それは結局一部の人しか享受できないメリットに感じられるからである。

現場を知らない人の机上の空論を抜け切らない。

そんな感じがする。

マスメリットが働かなければ、ワークライフバランスを取ることで労働生産性が向上したり、ダイバーシティが進んだりはしないのではないだろうか。

どうせ提唱するなら、「小さな会社でも明日からできて、すぐ効果が出るワークライフバランス」といったものにして頂けると助かる。

 

ちなみに私は年間の半分を出張している。

うちの会社では出張は定時出社、定時退勤扱いになる。

なので私は残業代をほとんどもらっていない。

出張手当もない。

法律上どうなのかは知らないが、争う気すら起きない。

残念ながらワークライフバランスという言葉からは圏外の位置にいる。

もっと待遇が良くて面白い仕事はないだろうかとよく夢想するが、これは宝くじが当たらないかと夢想するのと大差ない気がしている。