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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

モラルでは守れないものがある

最近、痛ましいニュースが紙面に並んでいる。

沖縄での若い女性への暴行殺人事件や、東京でのアイドルへの殺人未遂事件。

罪状は勝手に変えているが、事実上はそういうことだろう。

私はどうも、若者が犯罪の対象になるような事件に強い憤りを感じるようである。

少し前は中学生が河原で殺される事件があった。

ああいう話題にもやり場のない怒りを感じる。

若いとそれだけ逸失利益が大きい。

それは法律上考えられるような金に換算できるものばかりではない。

その人が経験し得ただろう、人生における諸々の喜びも想像してしまう。

ご老人なら諦めもつくだろうが、若いとそれだけでやるせない。

女性なら尚更である(ややフェミニストなので)。

まぁ個人的な感覚であるが。

 

悪意に対して、人は無防備である。

物理的な襲撃に対しては、護身術をもって処するしかないだろう。

それでも後ろから頭を殴られるようなケースではどうしようもない。

常時ヘルメットと防弾チョッキを着用するわけにもいくまい。

アイドル殺人未遂に関しては、ネット上で批難の声や、ファンあるいはオタクとしての在り方が論ぜられている。

だが思うに、そんな理屈を頷きながら読むような人間は、そもそもあんな凶行に出ない。

悪意は常にモラルの外側にある。

ルールというのは抑止力にはなり得ても、最後の防波堤にはなり得ない。

だからモラルやルールが必要ないということではない。

それでは守れないものがあり、世界は非情で不条理だと知らなければならない。

 

しばらくテレビを見ていないので、民放ニュースやワイドショーでどう取り上げられているかはわからないが、私はあの加害者の生い立ちや社会的状況をつまびらかにする趣向が好きではない。

そんなもので犯罪は防げやしない。

犯した罪の大きさや社会的影響により、厳正に処罰すればいいだけである。

前にも似たようなことは書いたが、あれはただの野次馬である。

同様に被害者の生い立ちや社会的状況をつまびらかにする、露骨なお涙頂戴も好きではない。

 

沖縄ではきっと、反基地のデモが繰り広げられているのだろう。

こちらの問題は少し複雑で、加害者を裁くのはアメリカである。

だからいろんな国民感情が生まれるのはわかる。

ただ、仕事で日本に来てごく普通に務めを全うしている多くの米兵からすれば、とんだとばっちりでいい迷惑だろう。

基地があることで騒音や軍用機墜落のリスクがあるのは間違いないし、それに対する怒りはもっともである。

だが今回のような事件は個人の性質に起因するもので、基地に対する反発につなげるのは感情レベルの話だ。

それを政治的に利用したい輩が喜ぶだけである。

日本にだって、勝手に不満を募らせてアイドルを滅多刺しにするバカがいる。

アメリカ人にだってバカはいるのだろう。

事が起こっては厳罰に処するくらいしか、しようがないことが残念である。

 

死者に対してできることは何もない。

死者に対してすることのすべては、生きている人間が自分の自己満足のためにすることである。

それは悪いことではない。

心落ち着くまで、気の済むまでやればいい。

死ぬまでに至らなかった某アイドルは、これからどうするのだろう。

生きていくことは、死ぬことより辛く苦しい。

そこに余計な重みが加わるのだから、心中察するに余りある。

彼女にとってできるだけ良い夢を見られる日が早く来ることを祈る。