読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

異呆人

毒にも薬にもならない呟き

寄付の是非、それから自己防衛と責任の所在

仕事の出張で地元に来たので、実家に宿泊していた。

テレビで朝のニュースを見ていたら、「不謹慎狩り」という話が流れていた。

支度をしながらぼんやり眺めていたので、言葉の定義や詳細は知らない。

善意に対するネットでの批判が取り上げられていた。

 

まずは熊本地震の支援募金活動が取り上げられていた。

学生が募金活動をする様子が取り上げられ、「怪しい」だとか「その時間でバイトをして寄付しろ」というネットでの批判が取り上げられていた。

学生はそういった批判を意識しながら活動している、といった演出だった。

それから某芸能人が熊本地震に対する寄付をしたことをSNSで披露した話題と、それを売名行為と誹るネットの意見が紹介されていた。

 

結局、何が不謹慎で何を狩っていたのかわからなかったが、見せる側としては善意を偽善と批判する人々を批判したいようだった。

確かに、やらぬ善よりやる偽善だと思う。

それが売名行為だろうが何だろうが、受け取る側からすれば金は金である。

助かるには違いない。

結局そういった行為を売名行為と批判する人間というのは、ただそんな行為ができる人間の経済力に嫉妬しているに過ぎない。

取り合わなければいいだけの話である。

 

募金活動は、私も「その時間でバイトしたら?」と思った。

私は寄付は偽善だろうが何だろうが構わないと思うが、募金活動は嫌いだ。

寄付したいと思っている人、その経済力がある人は、放っておいても寄付をする。

なぜあんな街頭で、見ず知らずの他人に金をせびるのだろうか。

寄付する人の憐憫の情を煽り、寄付しない人には不要な罪悪感を煽る。

せめて募金でなく、不用品を売って売上を寄付するとか、もっと合理性のある行動を取れないだろうか。

もう少し考えてほしい。

ちなみに私はユニセフのマンスリーサポートを利用している。

大した金額でないが、少しでも支援が必要な人の役に立てばいいと思っている。

 

次にマタニティーマークの話が取り上げられていた。

あのマークを付けた妊婦が嫌がらせに合う、といった話で、その必要性の喚起やモラル低下への警鐘を鳴らしたかったものと思われる。

妊婦に席を譲ったり、気を遣うのは当たり前だろう。

ちょっとした物理的衝撃やストレスが、流産に繋がったりするのである。

万一、ある人間の行為が流産に繋がるなら、それは殺人に近い行為だと思う。

だからこそ、堕胎もできる限り避けるべきだと思う。

妊婦に席を譲らず毒づくような輩は、それが高齢者だろうが傷病者だろうが身障者だろうが、そもそも席を譲らないだろう。

理屈ではなく人間性の問題である。

 

もちろん妊婦にも、できる限り混雑する列車を避ける配慮をしてほしいと思う。

モラルを越えた悪意に対して、基本的に人は無力である。

自衛の措置も必要だと思う。

仕事があるとか人それぞれ理由はあろうが、そのリスクは覚悟した方がいい。

 

こういった自己責任論には様々なものがある。

話題になったところで言えば、危険地帯に足を踏み入れた若者がテロリストに捕まったとき、俄かに自己責任論が世間の風潮として現れた。

あるいは、若い女性が暴漢に襲われるようなことがあるにつけ、一人で夜道を歩くのがいけないとか、露出の多い恰好をしているのが悪いという人間がいる。

総じて思うのは、自己防衛の必要性と責任の所在は別だということである。

上記の例で言えば、妊婦に席を譲らない奴が悪く、テロリストが悪く、暴漢が悪いのは火を見るよりも明らかである。

ただ本当に悪い人間には理屈は通用しない。

だから自己防衛が必要なのである。

そして自己防衛しないリスクは、各人が引き受けるよりない。

 

モラルが必要ないとは言わないが、モラルを掲げても何も守れない。

「正義なき力は暴力であり、力なき正義は無力である」

「人は強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格がない」

私はこういったセリフが好きだったりする。

だから私はこの無情で不条理な世の中を生きていくために強く優しくなりたいと願うが、現実はそんな個人の努力など一飲みにするほど暴力的に不条理だなと感じる。