異呆人

毒にも薬にもならない呟き

哲学の効用

私は大学では地理学を専攻していた。

学部学科の統合が流行って、さらに学際的研究が持て囃される昨今、最早何を学ぶのか不明な学部が多い。

私がいた学部もカバー範囲がかなり広かったが、学科としては旧来の文学部系統が何でも学べるような場所だった。

私は当初、哲学を専攻するつもりだった。

ずっと生きる意味について煩悶していた。

一時期、独学で哲学に答えを求めた。

結局答えは出ないまま、何だかいろんなものを諦めるような形で落ち着いていたが、大学で学ぶなら哲学かなと思っていた。

 

ただ1年目の教養課程や専攻決定のための履修コース紹介などを受けて、何か自分が求めていることとは違うような気がした。

それは、哲学することと哲学を学問することの違いであるように思う。

私は自分の人生の指針を求めて、先人たちの知恵を借りるために簡単に哲学をかじった。

だが大学で哲学を学ぶということは、特定の思想や思想家を掘り下げて研究することである。

少なくとも、学部生が答えの見えない問いに立ち向かうようなことはしないだろう。

それなら自分なりの哲学は今まで通り続けて、大学では大学でしか学べないようなことを学ぼうと思った。

そこでフィールドワークという調査方法に興味を持ち、専攻を地理学にした。

 

前置きが長くなった。

言いたいことは、哲学を学ぶかどうかは人それぞれだが、哲学することは誰にとっても必要なのではないかということである。

哲学は役に立たないと、よく言われる。

(それを言えば、人文系の学問は皆そうだが)

確かに現実的、具体的な問題を解決することに、直接的に関わることは少ない。

それは哲学が先に書いた戦略と戦術の話でいうところの、戦略だからである。

syuten0416.hatenablog.com

 

人生において、何を学び、どんな仕事をし、いつまでに結婚して子供をもって、といった事柄は、具体的な戦術である。

それに対して人生における戦略とは、どんな人間として、どんな風に生きていきたいか、ということである。

例えば、結婚する人生もあるし、しない人生もあるが、そのどちらの戦術を選ぶかは、どんな人間としてどんな人生を歩みたいかという戦略に沿って決定されるべきだと思う。

その人生の戦略、どう生きていきたいかを考えることが哲学することである。

戦略は根本的な価値観と言い変えてもいい。

 

そんな戦略がなくても、楽しく生きていくことはできる。

ただ人生の難問にぶつかったときは必要になると思う。

またその場その場では正しい戦術を選択しても、全体として整合性に欠けたり納得いかなくなったときにも必要になると思う。

要は、戦略が苦しいときに自分自身が立ち帰るべき場所になるのである。

 

だから哲学の効用とは、戦略を定める助けになり、芯のある生き方ができるようになるということにある。

何のために生きるか、どんな人間として生きるか、考えたことがないなら、一度立ち止まってでも考えてほしいと思う

答えを出すことが重要なのではない。

問うことそのものが重要なのである。