読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

異呆人

毒にも薬にもならない呟き

人と人はわかり合えないから

人と人はわかり合えないと思っている。

高校生のときくらいからずっと。

当たり前の話ではあるのだが、別々の人間である以上、考え方も感じ方も様々である。

どれだけ想像してみたところで、それは想像でしかない。

 

ある程度の長く時間を共にすれば、相手の考えていることがわかることもあるかもしれない。

だが、考えていることがわかることは、相手を理解することとイコールではない。

例えば、相手の身体の中に入り込んで、考えていることも感じ方もすべてわかったとしても、それらの情報を受け取る主体が異なる以上、やはり2人の人間の間には受け止め方のズレが生じる。

 

理不尽な理由で叱責を受けて、「なんだこの野郎!」と内心反発を抱く人もいれば、「なんで私が怒られなければならないのか」と我が身を嘆くだけの人もいるだろう。

その二人が互いの感じ方や考え方を知る機会があったとしても、「そういう風に考えるのか」で終わっては、互いを理解したと言えないと思う。

そう考えると、理解する、わかり合うには、お互いがどう考えているかを知るだけでなく共感することが必要だと言える。

 

ある部分において共感できても、ある部分では共感できない。

同じ個体でないのだから、それが普通である。

そしてそれが故に、人と人は完全にはわかり合えない。

難しいのは、相手の考えがわかるようになり、共感できる部分が増えるにつれて、少しの不和が目立つようになることだ。

近づこうとし、実際に近づくほど、漸近線のように最後までわかり合えない部分にぶち当たる。

なら、最初から違う人間同士であることを前提に、関係を築くのが最良と言える。

 

幼い頃、相手の気持ちになって考えなさい、とよく大人から言われた。

とても大切なことだと思う。

ただどれほど考えてもわからない部分があること、結局はどこまで行っても別の人間であることを知ることも、同じくらい大切なことだと思う。

人にできることは、わかろうと努力することと、わかった気になることだけである。

安易にわかった気になることがどれほど危険か、それなりに人生を歩んできた人ならわかると思う。

 

わかり合えないとしても、わかろうとする努力を怠らない姿勢には、動物にはない人間性が宿っているように思う。

今の世の中には、かなり足りないものである気もするが。