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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

保育園問題の問題②

以前、「保育園落ちた日本死ね」という話題のブログ記事について触れたとき、保育士の給与が低いことが一番の問題だと書いた。

そういう意見は巷に溢れているし、まして関係者がその記事を見たはずなどないが、政府は批判を受けて待機児童対策として、保育士の給与が上がるような施策を打つことにした。

まぁこれで本当に現場の方の給与が上がるなら、それで何の問題もないわけだが。

 

ちなみに私は補助金投入より、利用者負担を求めた方が良いと思っている。

保育に限らず、介護でも農業でも、補助金は概ね企業の創意工夫を奪う。

何とかなってしまうと、本質的な問題を何とかしようという気概がなくなる。

一般的には企業努力と言われるものだが、企業でない社会福祉法人だったりする団体の方々には関係ない話なのだろうか。

いっそ運営側も利用者側もどうにもならないくらい追い込まれなければ、根本的な解決には至らないのかもしれない。

 

さて、そんな風に政府も重い腰を上げた矢先、千葉は市川で保育園開設に周辺住民が反対する、というニュースが耳目を集めた。

子供の騒ぎ声や送迎の車などで、住環境が悪化するというのが主な理由らしい。

なんとけしからん、というのはあまりに単純過ぎる。

だって子供の騒ぎ声だろうが、工場の騒音だろうが、聞く側からすれば変わりはない。

作るなら他所に作ってくれ、というのは人情である。

 

例えば、これが近隣にできるのが核燃料の最終処分場だったらどうだろう。

米軍基地だったらどうだろう。

近隣に及ぼす危険度は段違いだが、どこかが引き受けなければならない施設という点では同じである。

要は多くの人には当事者意識が欠けているのである。

何とかなるだろうとか、誰かがどうにかしてくれるだろうとか。

 

某保育園の経営者の方が、「保育は一生のうち当事者である期間が短い。喉元過ぎれば熱さを忘れる。それが問題解決に向けた動きが大きくならない理由である」と指摘しているのを見て、なるほどと思った。

実際に保育を必要としている人以外は、「へぇ〜、大変だね」ってなものなのだ。

子育ては社会全体で支えていくものだ、などと綺麗事を言ってみても始まらない。

 

今回の問題でいえば周辺住民の説得を粘り強くするか、そうでなければさっさと場所を変える方が良い。

メリットのないことに人は動かない。

そういう意味では、当事者でない人にメリットを感じてもらうのは難しい。

ならばやはり事業者にメリットを感じてもらう、要は保育が儲かる事業になることが一番良い方法だと思う。

そのためには小規模保育の規制緩和なども必要になってくる。

 

ただその際に一番問題なのは、いかに安全を担保するかである。

幼い命を預かるのだ。

うっかりでは済まされない事故も実際に起こっている。

税金での補助に加えて保育料も上げ、十分な人を割いた上で一人当たりの待遇も良くなれば何とかなるだろうか。

それで事業者も儲かれば、喜んで保育園を出すだろう。

まぁこれではざっくり過ぎて絵空ら事だが、それでも一考の余地はあると思う。