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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

ものさしは自分、見た目は半分

一つ歳をとった。

まだ31歳だから若いと言えるが、若さを前面に押し出せるほど若くないと思う。

まぁそれは状況というか環境次第で、若いとも若くないとも言えるものだと思う。

 

私は昔から、割と歳上に見られる方だった。

大学入学時に入学書類を持って行ったら「院生はあちらです」と言われ、新卒で入社した会社で初めての挨拶で取引先を回ったときも「どちらの営業所から転勤ですか?」と言われた。

顔は童顔とまではいかないが、若く見える方だと思うし、実際そう言われてきた。

周りに言わせれば、滲み出る老成した雰囲気が年齢錯誤を引き起こすらしい。

 

20代前半までは、一貫してアラサーくらいに間違われてきた。

若く見えるがいやに落ち着いているとなると、そのくらいという判断になるらしい。

世慣れしたソツのない対応ができるようになるのが、アラサーなのかもしれない。

20代後半でも同じような感じだった。

つまり周囲の年齢判断と実年齢が、かなり近づいてきた。

見た感じより少し上か、同じかというぐらいである。

この調子で歳を重ねれば、年齢より若く見えるという逆転現象が起こると、密かに期待した。

しかし、そうはいかないようだと最近気付いてきた。

見た目、雰囲気だけが、相手の年齢を判断する基準ではないらしい。

 

最近の傾向はこうである。

まず20代前半の人は、私を20代後半だと思うことが多い。

自分よりは確実に歳上だろう、でも若く見えるし30代ではないと思う。

どうもこんな感じらしい。

これは素直に喜べる。

ありがたい話である。

 

次に20代後半の人は、私を30代前半、つまりほぼ正しい年齢で見る。

しかしこれは彼らの観察眼が鋭いためではなく、「自分より歳上だと思う。でも若く見えるし、それほど離れてないと思う」という判断からである。

理屈は先ほどと同じだ。

ちなみに30代前半の人も同じように自分を基準に判断するので、「自分より落ち着いている」と、私を30代半ばから後半だと思う人が多い。

ありがた迷惑である。

 

これが30代後半の人になってくると、私を同い年くらいだと思って接してくる人が増える。

これは私の雰囲気がその年齢くらいに見えるせいもあるが、主観のバイアスがかかっている人もいるように感じる。

どうも「自分は30代後半だが、見た目はもう少し若く見えるはずだ」=「この人は若く見えるが、自分と同い年くらいだろう」という発想が垣間見えるのだ。

穿ったモノの見方だろうが。

 

しかしなぜそう思うのかというと、40代以上の人は概ね私の年齢を正しく推測するからである。

これは厳密には、「自分との比較が意味を成さない」と判断する人たちである。

40代以上でも「私の若い頃は…」と自分の過去を比較に引っ張り出す人は、私を多少実年齢より歳上に見る。

さすがに、見た目から40代に見られることはない。

 

これはもちろん私自身にも言えることで、やはり相手から得られる情報だけでなく、自分との比較において年齢判断することが多い。

別に厳密に自分と比較している場合に限らない。

「なんとなく」という判断の裏側には、自分自身との比較が隠れている気がする。

 

年齢判断に限らず、人は自分を基準に判断することがある。

特に判断するために必要な情報が少ないほどそうなりやすい。

自分自身と比較することが悪いわけではない。

場合によっては、取り得る基準の中で最も合理的なものだろう。

怖いのは、自分自身と比較しておきながら、それが客観的な判断だと思い込むことである。

 

最近、他部署の上司がいやに厳しいせいで、耐えられなくてこちらに配置転換になる人がいた。

確かにその上司は仕事ができる。

言ってること自体も的はずれではない。

ただ、皆が皆、やる気があれば自分と同じようにできると思っている節がある。

だから自分基準を強要する。

怠け者もいるので難しいところではあるが、今回異動が認められたのは、行き過ぎという判断になったからだろう。

人の振り見て我が振り直したい。