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異呆人

毒にも薬にもならない呟き

動物愛護と命の価値

社会

アメリカの水族館でシャチのショーがなくなるという記事を新聞で見た。

シャチの飼育環境が劣悪だと批判を浴びていたそうだ。

実際どれほど劣悪だったのかは知らないが、客数が減少して経営方針を転換したらしい。

次は動物愛護の大切さを訴えるような展示内容にすると報じられていた。

それが賢明なのかもしれない。

 

最近では和歌山県太地町のイルカ漁が残酷だと批判を浴びた。

その前にはシーシェパードによる調査捕鯨の妨害も話題になった。

日本と諸外国(主に欧米)との動物愛護に対する意識の違いは大きい。

それは文化の違いという一言で片付けることもできる。

が、まぁそうではないというのが、愛護団体の方々の主張なのだろう。

 

こういう動物愛護の話題を目にするたびに思うのは、なぜイルカやクジラを獲ると批判されて、同じ海の生物の魚はOKなのだろう、ということだ。

哺乳類だからだろうか。

じゃあ、牛や豚の屠殺もアウトじゃないだろうか。

猫を殺害するとお縄だろうが、ネズミ捕りでネズミを殺害してもお咎めなしである。

羊でクローンは作れても、人クローンはいまだ禁忌である。

 

もし命という部分にだけ焦点を当てれば、ゴキブリほいほいなど論外である。

蚊をパチンと叩き殺してもダメだ。

残酷だというなら、これらはなかなかに残酷である。

魚のハラワタを取り除いて三枚におろすとか、冷静に考えるととんでもないことをしている。

ハエ取り紙はさながらジェノサイドである。

 

私は普段、そんなことは微塵も気にしない。

蚊は叩き殺すし、ゴキブリは叩き殺すし、魚は三枚におろせないので切り身を買う。

好き嫌いなく肉も卵も食べるし牛乳も飲む。

牛革の財布や靴や鞄を使い、羽毛布団で眠る。

動物を飼ったことはほとんどない。

金魚とザリガニは死滅した。

池で獲ったカメだけは生き残ったので、最後はまた池に帰した。

 

人間の命とイルカの命の価値は違うだろうか。

イルカと牛は、牛とゴキブリは、どちらが命の価値は重いだろう。

私と安倍首相の命の価値は、やはり違うのだろうか。

私は中学生の頃からこの問いを考えているが、究極的には同じだと思っている。

すべての生物の命の価値は等しい。

等しく無価値である。

誰かにとって、主観的に価値が生まれるに過ぎない。

 

だから私は今のところ、自分の主観に素直に生きている。

今日も鶏の唐揚げを食べた。

鶏からは人類の生み出した至高の料理の一つだと思っている。

なんだか腹が減ってきた。

もう寝る。