異呆人

毒にも薬にもならない呟き

美術鑑賞と感動

森アーツセンターギャラリーの「フェルメールレンブラント:17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展」を見に行ってきた。

正確に言うと、見に行こうと美術館の目の前まで行って、やめた。

森アーツセンターギャラリーは初めてだったのだが、展望台と同じ高層階にある。

折しも3連休の中日である。

展望台も美術館も混雑していたのだ。

ある程度は予想していた。

しかし、入場まで20分待ちという立て札を見て諦めた。

20分くらい楽に待てる。

ただ入場までに20分かかるということは、入ってからも相当の混雑が予想される。

とても落ち着いて絵を見る雰囲気ではないだろう。

そういう状況から受けるストレスまで換算すると、とても割に合わないと判断した。

 

数年前から年に数回、美術館の展示を見にいくようになった。

きっかけは特になく、ほとんど思いつきだ。

ただ新鮮な感動が欲しかった。

趣味はいろいろある。

少なくとも、少ない休みを過ごすにあたって、時間の方が足りないくらいである。

ほとんどの趣味は面白いし楽しいが、感動することとはまた違う。

感動といっても、別に涙するようなものだけを指すわけではない。

心が動けばいいのである。

特にその時期私が求めていた感動は、瞬間的なインパクトだった。

美しい景色や絵を見たときに得られる、あの一瞬の驚きに似た心のざわめきである。

 

だから旅行も好きだ。

見知らぬ土地から得られるこの手のインパクトは、自分自身にとってとても良い刺激になる。

普段の生活をルーティンのように繰り返していると、なんだか澱が溜まっていくような気がする。

それを吹き飛ばしてくれるものが欲しかった。

そういった新しい刺激が、仕事への意欲を回復させたり、新しいアイデアを生み出すことにつながったりする。

 

そういう意味で、美術鑑賞はとてもお手軽だ。

東京であれば、比較的近くにたくさん美術館がある。

値段も1500円前後で、映画館に行くのと同じくらいである。

美術館にもよるが、私は大体、1時間半から2時間くらいかけて展示を見て回る。

コスパは映画館と同程度だ。

旅行よりは安い。

山登りよりは労が少ない。

ちなみに私は山登りも好きである。

 

美術鑑賞というと敷居が高いように感じる人もいるらしい。

私にはその感覚がよくわからない(つまらないというなら理解出来る)。

なんせ、ただ絵を見るだけである。

その絵がどう優れているのか、どれくらい価値があるのか、どんな意味が込められているのか、そんなものを理解する必要はない。

いや場合によっては、そういう予備知識があった方が面白いこともある。

ならば美術館で音声ガイダンスでも借りればいい。

有料だが、今は大抵の美術館には備えてある。

私は借りたことがないが。

 

美術的価値の高い絵、世間一般の評価が高い絵が、必ずしも自分にとって先述の新鮮な感動を与えてくれるとは限らない。

むしろそういう予備知識抜きに、見た瞬間に得られる感動こそが、自分にとっての正解だと思う。

偉そうな解説は専門家に任せておけば良い。

まぁ、美術史とか勉強してから見るのも、それは違った味わいがあるのだろうが。

ちなみに私はわかりやすい絵が好きだ。

今回見損なったレンブラントフェルメールも好きだし、ルノワールシスレーも好きだ。

良い悪いは様々な判断基準があるのだろうが、好き嫌いは自分の判断だけである。

 

本当は上野の森美術館で開催されている「ボッティチェリ展」も見に行きたいと思っている。

ただ、上野にある美術館は、国立西洋美術館も東京都立美術館も含めて、休日は尋常じゃなく混雑している。

混雑した美術館は、絵を見るまでに時間がかかるし、絵の前でゆっくり立っていることもできないし、話し声のうるさい人間もいるし、何一つ良いことがない。

会期終わりごろに行くと比較的マシなので、今日も一縷の望みを託したが、あっさり裏切られることとなった。

 

ものすごく偏見を承知で言うが、「オシャレな大人の趣味」みたいな感覚で美術館に行く人が結構いる気がする。

とりあえずデートにちょうど良いとか思っている人間が、一定数いる気がする。

それを一概に悪いと言えないのが、なんともモヤっとするところである。

これは近年のランニングブームにも通ずる。

最近では参加者が増加したせいで、主要なランニング大会はまともにエントリーできなくなっている。

混雑した美術館で、綺麗に着飾った男女が絵と関係のない低俗な会話をしていたりすると、せっかく絵を見て得た感動が残念な感情で上書きされていくのだ。

美術鑑賞を道具にせず、目的にしてほしい。