異呆人

毒にも薬にもならない呟き

走ること

久しぶりに皇居を走りに行った。

月1回くらいのペースで、友人と2人で走ることが多い。

今日も、いつもの友人とだった。

お互いに来月フルマラソンを走るので、それに向けた練習ということで6周(約30km)をのんびり走った。

昔はペースを設定してガツガツと走っていたが、今はできる範囲で頑張る。

今日も5’30/kmくらいのペースである。

 

走ることは私の中では一番長く続いている趣味だ。

昔は生き様とまで言ったことがあったが、今はそう言い切るだけの自信がない。

走るのは1週間に1回がせいぜいだ。

いろいろやりくりすれば、もっと機会を作ることはできると思う。

実際、そうしてランニングに力を入れている人も、周りにはたくさんいる。

私には、今はもうそれだけの情熱がない。

燃えかすみたいなもので、火鉢みたいにほんのり暖かく燻っていればいいと思っている。

 

ランニングをしていると言うと、走ることの何が楽しいのかとよく聞かれる。

おそらく、私に限らずほとんどのランナーが聞かれることだと思う。

私にとっては、はっきり言って楽しいものではない。

好きでも嫌いでもなく、あえて言うなら習慣である。

走らないと身体の中に膿がたまるような感じがする。

デトックスのようなものだ。

 

だから楽しいと言わず、気持ちいい、爽快感があると言うならわかる。

自然の中を風を感じながら走るときなどは最高である。

だが辛いことは間違いない。

家の中でスマホゲームでもやっている方が楽しいだろう。

私は走る理由に関しては、突き詰めて考えることを諦めている。

有名な登山家が山に登る理由を聞かれ、「そこに山があるから」と言った逸話があるが、いわばそういうことである。

 

最近は少しずつ歳をとってきて、走るたびに身体を痛めるようになっている。

今は数ヶ月前に膝を痛めたのが、まだ尾を引いている。

私はこういうことで整形外科や整骨院に行っても、適当な理由をつけられ、適当な治療をされるだけだと思っている。

だから行かない。

時間が一番の薬である。

時間をかけても治らないなら、痛みと付き合いながら細く長く続ければいい。

本当に無理ならやめればいい。

 

痛みを止めるために、ロキソニンを飲んで走る人がときどきいる。

意味がわからない。

危険極まりない。

個人的には、レースを走っている途中にエアサロンパスを使う人も理解できない。

レース途中で足を冷やして再度走り出すとか、人体の理屈を無視していると思う。

 

来週は東京マラソンが開催される。

私も一度だけ走ったことがある。

東京マラソンが一般ランナー向けに開催されるようになってから、今のように一種のムーブメントが起こった。

有難迷惑な話だなと思う。

レースへのエントリーは抽選になるなど、格段に難しくなった。

人それぞれいろんな楽しみ方があるので一概に否定はできないが、それでも、走ることを目的とする人たちと、それ以外の何かを期待する人たちは明確に分けてほしい。

まぁ、大会を開催する側にもいろいろ思惑があり、人が集まればそれでいいということもできるのだろうが。

 

ちなみに私は今のムーブメントが起こる前に、マラソン大会と地域振興というテーマで卒業論文を書いていた。

当時そのテーマはあまり評価された記憶がないが、その他の部分が評価されて大学院への進学を勧められていた。

大学院に進学し、あの頃はオリジナリティのあったテーマを突き詰めて、そのまま地域研究の学者になっていたら、結構面白かったかもしれない。

今もときどき、そんな妄想をすることがある。