異呆人

毒にも薬にもならない呟き

2017 ヴィクトリアマイル、京王杯スプリングカップ 〜結果〜

syuten0416.hatenablog.com

 

京王杯スプリングカップ

買った馬券

3連複軸1頭:4ー3、9、10、13

3連単:4→9、10→9、10

 

結果

1着:10レッドファルクス

2着:12クラレント

3着:9グランシルク

 

いつも通り本命軸の3連複ながしと、今回から3連単を加えようと2点だけ買った。

最近、予想を当てることと馬券を当てることは違うなと感じるので、ピタリ賞みたいな3連単というのは検討する際のモチベーションになると思ってのことである。

3連単の方もシンプルに、本命サトノアラジンを1着、◯レッドファルクスと▲グランシルクを2,3着に組んだもの。

レースでは、本命のサトノアラジンが最後の直線で進路を見つけられずに馬券は終了。

ああいうコース取りというのは、やはり難しいんだろうかな。

そしてたとえサトノアラジンが来ていたとしても、まったくノーマークのクラレントが2着ではどうしようもない。

重賞ばかりとはいえ近走は二桁順位ばかり、湿った馬場への適正も見出せないし、年齢も8歳とあれば個人的には買えなかったなぁ。

 

ヴィクトリアマイル

買った馬券

3連複軸1頭:11ー2、3、5、8、14

3連単:11→2、5→2、5

     11、14→11、14→2

 

結果

1着:5アドマイヤリード

2着:10デンコウアンジュ

3着:3ジュールポレール

 

本命軸の3連複ながしと、3連単は本命ミッキークイーンを1着固定に◯のスマートレイアーと△のアドマイヤリードを2,3着にしたもの。

レッツゴードンキが差し届かなかったときを想定した。

さらに、レッツゴードンキが差し届いたときのパターンで3連単をもう2点。

普段はここまで買わないが、今週は重賞が2レースだけなので、200円ほど普段より遊んでもいいだろう。

レースは実績馬を押しのけ、重賞実績のほとんどない4歳馬が3着までを独占。

デンコウアンジュはよく伸びたが、伸びてくる過程でミッキークイーンレッツゴードンキの進路が狭くなり、2頭が機を逸したようにも見えた。

デンコウアンジュは結構好きで、これまでも馬券には加えていたし、今回も最初の検討メモには名前を控えてあるのだが、良くて掲示板止まりの結果ばかりなので切ってしまっていた。

まぁ馬券的には、本命が連対外すとは思っていなかったので、当たりようはなかったと思うが。

 

土曜も日曜も2着に入ったような人気二桁の馬を買うには、素人の眼力では難しいのだろうか。

事前の予想だけでなく事後の検討もしっかりして、次に買うときの参考にしないといけないな。

自然と人工

「自然」と「人工」を対比させる考え方は人間の思い上がりだなと思う。

「自然」に対して「人間」あるいは人の手による「人工」を置くことは、人間が自然の一部であることを無視した考え方だと感じる。

人間を自然の一部とみなすなら、人工物は「自然の営為の結果生み出されたもの」となるはずである。

鳥の巣は自然の一部とみなせるのに、人間の家は自然でないというのは、「人間様」という驕りが根底に流れているように思う。

 

「自然」が「自然」を駆逐する行為は、「自然界」ではよくあることである。

所詮この世は弱肉強食。

弱いものは強いものに駆逐される。

また、環境に適応できないものは姿を消す。

そうして淘汰されてきたのが現在の世界である。

それは本来、何ら責められるものではない。

まさに「自然のまま」放っておいたらそうなるのである。
つまり人間が野放図に土地の開拓などを押し進め、その結果「自然環境」が致命的なまでに破壊されることになっても、それはある意味では自然なことだと言える。
 
だから環境保護などは必要ないとか、そういうことを言うつもりはない。
最近はもうサスティナブルという考え方が一般的になってきているが、つまり人類が少しでも長く存続していくためには人間以外の自然との共存が欠かせないのである。
腹八分目の方が長生きできるのと同じようなものかもしれない。
過ぎたるは及ばざるが如し。
ほどほどにして他の生物の顔を立てるくらいがちょうどいいのだろう。
そうやって控えることができるのは、人間が人間たる所以、理性があるからである。
つまり「やり過ぎた」と思ったときに控える流れまで含めて、自然の一部としての人間のありのままの行為であると言える。
 
ちなみに、私はあまり環境保護には熱心ではない。
貧乏性なので、「もったいない」という思考からリユースするためのゴミの分別などには積極的だが、それ以外のことには何ら取り組んでいない。
理由は単純で、そうやって守る地球環境もいずれは存在しなくなるからである。

utyuu-tanosimu.net

このことを知ったのはまだ10代の頃だったと思うが、随分と衝撃を受けた。

地球に寿命がある(その前に太陽が寿命を迎える)ということは、人類もそのときには滅亡するということである。

どれだけせっせと子孫を繁栄させても、歴史に名を残したとしても、もっともっと長いスパンで考えれば、それらはまったく意味のないことなのである。

箱庭で遊んでいるようなものである。

そうであるなら自分は何に価値を見出し、何をなすべきなのだろうかと、若い頃は真剣に考えたものだった。

もちろん、そんな何十億年先の未来より、心配しなければならないことは目の前にたくさんある。

だが、先のゴールとしてどこを見据えるのか、ということは少しくらい考えておいていいかもしれない。

「自然環境」を守るということが何のために必要なのか、いずれなくなるものを丁寧にメンテナンスする意味は何か。

これは身体の健康と同じようなものかもしれない。

 

もちろんSF的に地球を脱出して、人類は別天地で繁栄を続けるという可能性もある。

もうそうなれば、何が自然で何が人工かなんて、実にナンセンスな議論になるのだろう。

そして自然はそのとき、死語というか、単に過去に存在したものとして扱われるだろう。

地球というものが歴史の中だけで語られる日も来るかもしれない。

ただし、もっとマクロな視点で考えれば、宇宙そのものが終焉を迎える可能性もある。

 

詳しくは、「宇宙の終焉」でググれば、ウィキペディア先生が教えてくれる。

まぁここまで先の未来にならずとも、将来的に技術が進歩すれば、環境問題なんて技術でまるまる解決してしまうかもしれない。

そうなると、そんな形で守られた「自然」をこれまでと同じ「自然」として考えていいのかという疑問も起こる。

まぁ結局、あれこれ考え過ぎても詮無いという話である。

出家はいたしません

今週のお題「髪型」

 

髪は短い方が好きだ。

長いと手入れが面倒だし、襟足が服の襟などにかかったり、前髪が目にかかったり、横の毛が耳にかかったりすると非常に鬱陶しく感じる。

数年前までは理髪店に通ってキワは刈り上げてもらっていたのだが、「幼く見える」とかなんだとか概ね不評なので、今は美容室に通って適当に短くしてもらっている。

大してこだわりはない。

以前は髪型に関してこんな記事も書いていたりする。

syuten0416.hatenablog.com

 

以前に二度ほど、丸坊主にしたことがある。

大学生の頃だった。

理由は特にない。

大学生のこの時期しか坊主にする機会はないのではないか、今やらなければ一生坊主にする機会を失うのではないかと思っただけである。

そこまで坊主にこだわった意味は何一つない。

興味本位である。

髪などどうせすぐに生えてくる。

ならば坊主がいかほど楽でいかほど苦痛か、人生で一度くらい味わってみるのも一興かと思ったのである。

ちなみにこの理由を理解していただけたことは、いまだかつて一度もない。

 

幼い頃は親に理髪店に連れられるままに行き、私は「坊ちゃん刈り」、一つ年下の弟は「スポーツ刈り」と相場が決まっていた。

理由はよくわからない。

母親がその方が似合うと思っていただけだろう。

確かに性格的なものも含めて考えると、キャラクターに合った髪型だったと言えるかもしれないし、ステレオタイプな判断でプラセボ効果を生んでいたと言えるかもしれない。

さておき、私の髪型はそのままの流れでずっと「坊ちゃん刈り」だった。

別に「スポーツ刈り」にしたかったわけではない。

しかし長じて考えてみると、そういう「親に決められてそのまま」の髪型というのは少し嫌だった。

イメチェンしたいなんて思ったりはしなかったが、もう少し別の可能性を試してもいいのではないかという気はしていた。

坊主を思いついたのは、そういった決められたレールを走ることに対する反骨精神とか、自分の中で出来上がってしまった価値観への破壊的挑戦という隠れた意味があったのかもしれない。

いや、これは冗談だが。

 

ともかく、思いついて、その後の髪を切るタイミングで、いつも通っている理髪店で「一分刈りにしてください」と注文した。

理容師さんの動揺が、ありありと顔に表れていた。

丸刈りですか?」と聞き返された気がする。

「はい」と答えると、しばらくの間があって「一分だとかなり短いので五分にしませんか?」と提案された。

思わず笑ってしまった。

客の私が一分刈りを依頼しているのである。

私からすれば、本当は五厘刈りをお願いしようと思って、ちょっと控えめに一分刈りを申し出たつもりだった。

どれだけ私に坊主が似合わないと思われたのだろう。

しかしそんな理容師さんの優しさがありがたく、また滑稽でもあったので、「じゃあ、それでお願いします」と答えた。

 

坊主にするのは非常に簡単だった。

なんせ、刈るだけである。

すぐに終わった。

仕上がりを見た感想は、「イメージした通り」というものだった。

「たぶん自分が坊主にしたらこんな感じになるだろうな」というイメージ通り。

面白くもなんともなかった。

 

翌日、大学に行くと、会う人会う人から心配された。

「何かあったの?」、「出家するつもり?」、などなど冗談とも本気ともつかない、というか概ね本気で心配された。

「なんで?」と聞かれても、「坊主にしてみたかったから」としか答えようがない。

まぁ普通の人の感覚からすれば、「坊主にしたい」の意味がわからないのかもしれない。

私からすれば、ノーリスクでいろんな可能性を試せるなんて素晴らしいと思うのだが。

弁当屋のおばちゃんからは、「坊主は夏は頭皮が日焼けして痛いから、帽子をかぶりなさい」とアドバイスされた。

どういう因果かわからないが、坊主にすることでたくさんの人の優しさを感じられた。

いや、これは「優しさ」と言うより「同情」と言うべきなのかもしれないが。

 

その後、不意打ちのようにもう一度坊主にしたことはあったが、大学卒業後は一度もしていない。

会社に入ってから急に坊主にしたりすれば、またどんな波紋を呼ぶかわからない。

ちなみに坊主にして良かったと思ったことは、朝のセットが必要ないことと髪を洗うのが非常に楽であることだけだった。

デメリットとしては、鬱陶しいくらい心配されること、髪が伸びてくる途中で猿みたいな髪型になることが挙げられる。

よほど坊主が好きでない限り、あるいは野球部など坊主を強制されるような環境にない限りは、坊主にするメリットはないと明らかになった。

意味はなかったかもしれないが、頭から否定するのではなく、何事も実際にやってみて感じることが大事だと思っている。

たかが髪型の話ではあるが。

2017 ヴィクトリアマイル、京王杯スプリングカップ 〜予想〜

京王杯スプリングカップ

◎:4サトノアラジン

◯:10レッドファルクス

▲:9グランシルク

△:13ダッシングブレイズ

△:3キャンベルジュニア

 

本命は大人しくサトノアラジン

1番人気が苦戦するというデータはあるが、このメンバーなら格の違いを見せてくれるはず。

雨予報ということで、対抗はレッドファルクス

距離延長がどうかだが、短距離での実績とダートもこなせるパワーを見込みたい。

▲のグランシルクは湿った馬場だとどうだろうか。

ただ前走は稍重で3着に入っているし、枠やこのメンツの中で実績を比較するなら買えると思う。

ダッシングブレイズは馬場適性と枠から買うつもり。

キャンベルジュニアは内枠なのでデータ的には切りたいが、3着ならあるかもしれない。

 

ヴィクトリアマイル

◎:11ミッキークイーン

◯:2スマートレイアー

▲:14レッツゴードンキ

△:5アドマイヤリード

△:3ジュールポレール

△:8クイーンズリング

 

本命はミッキークイーンで間違いなさそう。

前走は「久々」、「重馬場」という条件で勝ち切っており、軸としての信頼度は高いと思われる。

対抗のスマートレイアーは安定して好走を続けているのが魅力。

昨年も4着につけており、鞍上込みで期待。

単穴はレッツゴードンキ

理由はスプリングCのレッドファルクスに同じ。

他は阪神牝馬Sで健闘したアドマイヤリードとジュールポレール

4歳と若い年齢と、勢いを買いたい。

クイーンズリングは実績を考えれば買わない選択はないが、前走の大敗がどうしてもきになる。

買い目に入れるかは、オッズを見ながら考えたい。

ルージュバックは復活にはまだ遠いのではないかと思うので切る予定。

 

雨による馬場状態も気になるが、明日は私もダートならぬビーチを走るレースに出る予定。

雨なら欠場しようかな。

3月のレースも雨天で欠場したばかりで、我ながら連続DNSは気が引ける。

しかし雨の砂浜なんて最悪だろうなぁ。

さて、どうしようか。

泣かないことを切に祈る

結婚式の日にちが迫ってきている。

一つ一つの期限を明らかにし、その期限までに一つ一つの作業を仕上げていく。

まるで仕事をしているような感覚である。

こういうスケジュール管理はお手の物なので、自分のやることはさっさと済ませ、妻のやることはいつまでにやるようにと指示をし、時にうまくいかなくて拗ねられ、その度に慰め、励まし、機嫌をとっている次第である。

ここまでは概ね順調に進んでいる。

用意周到、深慮遠謀、権謀術数が朱天である。

 

さて、結婚式の演出の一つとして、キャンドルサービスをすることにしている。

余興はしないし、派手な演出もしないつもりだが、テーブルラウンドくらいは来てくれる人のために何かした方がいいだろうと思ってのことである。

各テーブルを回ってキャンドルに火を灯し、それを最後に消すとメッセージが浮かび上がるという趣向の商品があった。

派手さはないが、なかなか洒落た演出で面白いと思った。

妻もそう思ったようで、すぐにそれを行うことにした。

 

このメッセージ付きキャンドルの大変なところは、当たり前だがメッセージを書くことである。

今まで私が出席してきた結婚式では、メッセージは席札に書かれていることが多く、結局このメッセージを書くという作業はたいていの新郎新婦が行なっているようなので、別に負担が増えているわけではない。

ただ席札よりもメッセージを書けるスペースが小さく、いかに文言をまとめるかに頭を捻ることになる。

友人なら書きたいことが書ききれなくて、結局当たり障りのない文章になってしまい、少し物足りない感じになってしまった。

逆に親戚連中なら一人一人に宛てたメッセージなど思い浮かばず、結局全員同じメッセージにしてしまった。

こんな中途半端なメッセージなら、わざわざ演出まで使うほどのものではないのではないかという気もしてきたが、まあこういうのは雰囲気が大事なのだと思うことにした。

 

このメッセージに関して、もう一つ頭を悩ませたことがあった。

それは、まだ小さい姪と甥へのメッセージをどうするか、ということである。

4歳と3歳である。

まだ字はきちんと読めないかもしれない。

大人ですらちゃんと読めない私の字なら、なおさらである。

まぁ、簡単な一言なら上の子は読めるかもしれないし、おそらく弟や義妹が読んであげることだろう。

しかし、書く内容も思いつかない。

とりあえず、上の姪っ子には「来てくれてありがとう」という一言と、大きなハートを描いておいた。

 

次に甥っ子にはどうするかと考えたとき、そういえば甥っ子がウルトラマンが好きだと言っていたのを思い出した。

ウルトラマンが好きと言っても、好きなのはウルトラマンではない。

ウルトラマンに出てくるピグモンが好きなのである。

あんな格好良さのかけらもないモジャモジャの赤い生物の何が良いのか私にはわからない。

甥はかなり奇特なのかもしれない。

それはさておき、ピグモンくらいなら私の画力でも描写できると思った。

ちなみに私の画力は、一般人が抱腹するくらいのレベルだと思っていただきたい。

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とりあえずグーグル先生にピグモンを見せてもらい、それっぽくなるように何度か下書きしてみた。

しかし何度描いてみても、我ながらまったく似ていない。

なぜ似ないのか。

目も口もシルエットも同じように描いているはずなのに。

 

結局、何度下書きしてもうまくいかなかったので、「えぇいままよ」とばかりに本番を執筆した。

すると、今までで一番最低の出来に仕上がってしまった。

「さすがにこれは…」と思って加筆すると、どんどん絶望の色が濃くなる。

最終的な形になったときには、仮装したオッサンにしか見えなくなった。

これは下手すると、見た瞬間に泣いてしまうかもしれない。

少なくとも、もらって嬉しいものではないことは確かである。

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